1)消費税増税反対の意見が、チャネル桜等のメディアにより何人かの経済人により出されている。それはよく分かる。政府が新しい政策をする上で必要なら、消費税増税よりも国債発行する余裕は未だ有る(補足1)と思うからである。現在、景気は低迷しており、消費税増税は景気低迷を長引かせることになると思われる。

補足1:現在、日本銀行は株式の半分以上を財務大臣が保有し、ほとんど国有銀行である。もし、政府と日銀の貸借対照表(バランスシート;BS)を一つにまとめれば、日銀が買い上げた国債はその時点で消滅する。その合算したBSの健全性は、ほとんどインフレ率がゼロであることを考えれば、証明されていると考えても良いように思う。

ここ数年間、内閣参与の浜田宏一氏の指導で、通貨発行量(マネタリーベース)の増加でデフレを克服しようと試みたが、その考え方はうまく行かなかった。この状況の下、内閣参与の藤井聡氏や三橋貴明氏は、現在米国で力を増しているMMT(modern monetary theory;現代通貨理論)の考え方を採用して、もっと財政支出を行うことで、民間企業や個人などの金融資産(マネーストック)を増加させる政策をとるべきだと主張している。しかし、それでは同じような結果、或いはもっと悪い結果になるのではないだろうか。そう思ったのが今回の記事を書いた動機である。(補足2)https://www.youtube.com/watch?v=CMLYpWlQp1E

補足2:monetary baseは中央銀行の貨幣発行残高で、流通貨幣、日銀券残高、日銀当座預金の合計額。Money stockは民間経済主体が保有する金融資産残高で、一般法人、個人、地方公共団体などの通貨保有主体(金融機関・中央政府を除いた経済主体)が保有する通貨(現金通貨や預金通貨など)の残高

私は、素人ながら差し出がましいことを言うことになるのだが、さしあたり消費増税を中止すること、更に、国防環境の悪化を考慮してその部分の予算を増加して、需要増加政策を2−3年行うことには賛成である。しかし、それ以降の国土強靭化などの土木事業に大金を投資するのには反対である。何故なら、MMTそのものは日本では成立しない制度であり、MMT的政策もあまり適さないだと思うからである。

端的に言って、MMTが可能なのは、世界の決済通貨米ドルを発行する米国だけだと思う。MMT的政策を実行するだけの場合でも、自国通貨で国債を発行している国であると同時に、産業に国際競争力がある場合だと思う。何故なら、MMTを採用すれば、財政規律を失ってしまう可能性があること、更に、MMT理論が外国為替、輸出入の影響などを十分考慮しているかどうか怪しいと思うからである。

2)このMMTを考える上で参考になるのは、上記藤井氏らが米国から招いたニューヨーク州立大のステファニー・ケルトン教授の記者会見である。https://www.youtube.com/watch?v=ofBu81yJSCA

MMTは、貨幣の発行は政府が必要に応じてお金を使うことによりなされるという体制であるので、通貨発行量を決定するのは、政府の財政支出である。そして、財政支出の歯止めの指標は、物価上昇率である。ただ、実質賃金換算の物価上昇率がどの程度なら、財政支出を増加させられるかについて、上記二つの解説を見る限り明確ではない。供給能力が需要を超えない限りと言う類の話はあるだろうが。



現在、各国の中央銀行が紙幣を発行しており、財政政策は国家により金融政策は中央銀行によりなされる。財政支出は税収と国債に頼って行われ、政府は政府の貸借対照表(BS)を意識して、財政規律を守る。従って、政府機能の効率化は、政府自身が財政状況を判断して行われる。既に記したようにMMTではその動機が、失われる可能性が高いと思う。

MMT的政策を勧める人たちの考えは以下のようである。:

需要が供給力に比べてかなり低くなっている日本のような状況で、需要増を物価上昇が起こるまで、政府の財政が牽引し進めることになる。需要の増加は、企業に供給能力増のための求人や設備投資を増加させ、経済成長を推進する。少なくとも、潜在失業などもない完全雇用の状況までは、財政増加はなされるべきであると考える。(補足3)財政の大きさの限度の指標を与えるのはインフレ率である。従って、日本では例えばインフレ率が2%程度になるまで財政政策を行うべきである。

補足3:日本は完全雇用状態だというが、おそらく潜在失業がかなりあると思われると日本でMMTについて講演したステファニー・ケルトンニューヨーク州立大教授は記者会見で言っている。

しかし現在の日本では、インフレと財政の関係は講演者の説明ほど単純ではないと思う。それに上記記者会見の最後の方で質問があったように、インフレが突如起こる可能性が排除できない。ミンスキーモーメント(ミンスキーの瞬間)と言うらしい。物価も資産価格も群衆心理に左右され、危険だと気付いた時は手遅れのバブル崩壊ということになる危険性である。つまり、財政とインフレの関係が、線形関数や二次関数のような簡単な関数ではないのが、重要な問題点である。

日本における需要が供給能力を下回る状況は、将来不安が原因であり、日本人が金を使わないから不況なのではなく、経済が不健全であるから病気に備えようという心理の結果だろう。つまり、消費者は日本企業の国際競争力の一層の低下を感じているのではないのか。インフレ率が高くないのは、グローバリズムの結果であり、MMT的政策による需要の上昇が、供給側への圧力と物価への圧力となって経済発展をもたらすという図式は、一時的に働くが永続的ではないと思う。

3)もし、MMT的政策を日本が進めれば、会社の黒字幅が増加するだろう。しかし、それが賃金や設備投資に回ることはないだろう。何故なら、企業の利益剰余金は大きくなっているものの、かれらは労働生産性の向上、新規産業の立ち上げ、競争力向上のための設備投資などにそれを使わない。日本企業の利益剰余金は既に過去最大である。https://www.asahi.com/articles/ASL933C3QL93ULFA002.html

その結果、日本のマネーストックの対GDP比は非常に大きく、M2で見た場合米国の約3倍、EU圏の約2倍である。日本人はマクロに見た場合、実質的所得が増加していることの証明である。これで更にマネーストックを増加させるのは、この部分の解決にはならず、副作用に苦しむことになる危険性大であると思う。また、一般民の一時的な所得増があったとしても、マネーストックの上昇はもたらすが、消費に回らないと思う。せいぜい、株などの金融資産などへの投資に回る可能性が大きいと思う。それはバブルに繋がるだろう。

現在までに、日本銀行は国債をどんどん買って、お金をばらまいている。既に、日本の国債の6割ほどは日銀が買っている。それはこれまでの20年間実質的にMMT的政策をやってきたということだと思う。更に、日銀はREITやETFなどを既に相当買っている。それらは日本の資産の増加、更にそこからマネーストックの増加に寄与しているだろう。<br><br>

上記三橋氏が国会議員の中で行なった上記講演で、財政支出で貧困層に何らかの政策を施すという主張は、通常の政治であり、MMTとは無関係である。かれらがMMTを主張するのは、別の企みがある。藤井氏の土木へのテコ入れである。偏った部分へのテコ入れは、経済を歪にするだけだと思う。

財政の増加は、国内の需要を増加させるだろうが、海外からの輸入量も増加させる。それは、貿易収支や為替に影響する。日本の不況は、財政と金融の問題で解決が難しいとした場合、そして、MMTは外国為替や貿易バランスの変化なども考慮していないのなら、日本には危険な気がする。


日本のような資源小国であり食の安全保障もされていない国では、外需を一定以上に確保することは円安防止の観点から非常に大事である。現在円高傾向にあるが、政府が放漫財政に至れば、直ぐに円安に悩むようになると思う。そして、安易な財政支出は日本企業の国際的競争力を高めることを阻害してしまう。

日本経済の低迷は政府支出の低迷ではなく、日本企業の開発能力、新規産業の創出レベルの低さ、などに原因の第一がある。政府は行政を効率化する義務を放棄すれば、(何度も言うが)放漫財政に陥る。現在の通貨制度はその放漫財政防止を重視するようにできている。

現在の日本経済低迷問題の解決の要点は、MMTという通貨の革命にではなく、日本文化(価値の文化、労働の文化、人事の文化など)の革命にあると私は思う。

日本の人事では、優秀な者を高いポストに着ける事になっていない。何故、ダイソンの扇風機や掃除機が日本で開発できなかったのか?東芝はその扇風機の開発した人間のアイデアを何故取り上げる事ができなかったのか? 何故、新規産業が日本で発生し難いのか、何故、例えばスマホ決済などの導入で労働生産性の向上ができないのか? 日本経済の治療には、別角度の視点や経済ではミクロの視点が大事であり、マクロには既に精一杯の努力をしてきたと思う。<br><br>

司馬遼太郎が生前指摘したように、現場には相当優秀な人材がいても、中枢には馬鹿なトップが多い。政治家も同様である。その文化に由来する組織の弱点を如何に解決するかが問題である。財政や金融といったマクロ経済的施策だけを議論していては、日本の弱点は克服されないだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=sSNV0Mnh-WY

以上、素人の考えですので、経済に知識のある方のコメントを期待します。

1)参議院選で、NHKから国民を守る党(以下N国党)が1議席を獲得した。党名は過激だが、その主張の趣旨は、NHKのスクランブル放送を実現して、NHKとの契約の自由を国民に与えようということであり、真っ当なものである。(補足1)

 

現在、NHKはテレビを保持する者に、放送法第64条を楯にとって、受信契約を強要している。その根拠となる放送法第64条だが、テレビ受信機を設置したものに受信契約の締結を義務化し、視聴の有無と無関係に受信料金の支払いの義務を負わせている。https://oshiete.goo.ne.jp/qa/613453.html

 

この条文は、私にとっては非常に不可解なものである。何故なら、「契約の自由」は近代国家では国民の権利だからである。放送法64条の根拠となるのは、放送の公共性(放送法第一条)である。テレビ設置者だけに経費負担を強いる、公共性とは何なのか。

 

公共性があるから、その特定の受益者がその利用料金を支払わなければならないという論理が、私には理解できないのである。逆に言えば、テレビを観る人だけが得る利益に、公共性など存在するのか? 本来、公共とは全ての国民を対象とするものの筈である。

 

例えば、道路や水道、電気やガスなどの物品やエネルギー配給のインフラが、公共的建造物として言及される。それらは全て人間の生命維持活動と直結している。従って、国民全てはこれらの恩恵を受けているので、当然公共性がある。

 

例えば地震警報などの通知には、公共性があるとする。しかし、それはラジオでもパソコンやスマホでも受信されるので、テレビ保持者に対してのみ受信料支払いを要求する根拠にはならない。その種の公共福祉に関する経費は、別途一般的な税でまかなうべきである。

 

放送インフラの整備にNHKは貢献しているという意見がある。そのインフラ投資金の内、テレビ受信に必要な部分に限って、テレビ保持者は何らかの形で支払うべきだという意見なら、それは理解可能である。テレビを視聴する利益は、民放受信者も共通であるから、その部分は本来税金で賄われるべきだろう。つまり、自動車の購入時に支払う税と同様に(補足2)、テレビ税などを創れば良い。

 

2)この件に関して、内閣官邸にメイルが届けられている。それを紹介したい。

https://quasi-stellar.appspot.com/mails/km-1/kanteiMail_y-829.html

それは、テーマ[号外8971] 放送インフラ整備を国営化しNHKの受信契約義務廃止を求める: と言う表題とともに届けられたメイルである。(補足3)この内容は、いくつかの点でN国党の主張と異なる部分があり、その区別化をメイルの主は主張しているが、私の判断では両者の主張内容は、非常に近い。

 

相違点についての解説を以下に記す。

 

①メイルの主は、NHK廃止を訴える人とは意見が異なると言っている。それをN国党の主張と照合すると、同党の「NHKをぶっ壊す」という表現が引っかかる。しかし、N国党はインフラ部分まで廃止するとは言っていない。ぶっ壊すは解体を意味しており、再構成については積極的に言及していないだけである。

 

②上記官邸に届けられたメイルと異なり、N国党はNHKの放送が偏向しているという主張はあまりしていない。偏向報道だとする批判は、「議員が番組内容について言及するのは検閲となり、違憲となるから行わない」と明言している。(ウィキペディア、「NHKから国民を守る党」参照)

 

以上から、私は官邸メイルの送付主の意見より、N国党の主張を支持する。私流にNHKの現状を書けば、「そのほんの一部にすぎない公共放送部分をたてにして、非常に有利な条件で経営をおこなっている営利企業である」ということである。放送インフラに対する貢献だが、それは上記官邸に届けられたメイルに書いてある方法が良いと思う。それは、分離国有化である。

 

以上から、NHKの放送は、スクランブル化して、国民に視聴契約の自由を賦与すべきである。それは公共サービスに支障なく、実現可能な行政改革である。

 

3)短くもう一つの問題について:

NHKの予算案は、国会での審議および議決の対象になっているので、この問題は日本の政治の問題とも言える。つまり、NHKの視聴契約の強要を支持してきたのは国会である。そこに一石を投じる役割を果たすべく、創られたのがN国党である。

 

上記、N国党の主張や官邸メイルの主張は、国民のかなりの割合が持つ意見である。私は、それを一顧もしなかった国会議員たちに、出せるものならイエローカードを出したい。その国民の声は、N国党の国会への進出で、益々大きくなるだろう。

 

家業を継いで国会議員となったもの、親類縁者のコネで国会議員になった人、スポーツや芸能界での人気で国会議員になった人、などに高いレベルの議論など期待できない。日本の国会議員のレベルは、この程度である。

 

何度も書いているが、一票の格差の完全撤廃と、国会議員から田舎への利益誘導を防止するために、選挙区を道州制にすることが、日本の政治改革の要諦である。

https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/12/blog-post_23.html

https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/01/blog-post_20.html

 

 

補足:

1)N国党のやり方を、シングルイッシューポリティックスといって攻撃する人もいる。しかし、何一つ主張しない政治家よりも頼りになる。N国党は、そのほかのことを議論しないとは言っていないので、その他の問題についても積極的に発言してもらいたい。

2)自動車取得税、重量税、自動車税など、燃料にも揮発油税がある。

3)官邸メイルのコピー:

現在、NHKが国民から支持を得ていないのにも関わらず、強制的に受信料を徴収しています。 中には、これらのことを踏まえて、NHKを解体することを訴える人がいますが、放送インフラ整備等も行っているため、 現実的ではありません。しかし、NHKの番組が視聴できる者に受信契約義務が発生するため、 NHKの番組料として受信料を徴収している契約構造には国民の納得が得られません。 他の民放と同様に政治的な偏向報道ややらせ報道が目立ち、もはや公共放送とは言えません。 また、インターネット配信のためのインフラ投資に受信料を使う検討もされていますが、 Youtubeなどの動画配信サイトがある昨今で、時代錯誤な政策にますます国民の反感を買うばかりです。 ここで、提案があります。 NHKが行っている放送インフラ整備を総務省管轄とし、放送局の電波利用料や税金で賄うことで、NHKの受信契約義務を廃止するよう要望します。(以下略)

 

参照;https://ironna.jp/article/1240

 

 

以下は、古い記事から比較的閲覧があったものの再録です。グーグルの検索機能が及ばないので、自分で読み返すためにここに再録します。(2014年2月3日投稿)

 

原題:歴史とは何か---岡田英弘著の同名の本を読んで(追補)

 

(以下に岡田英弘著の「歴史とは何か」の感想を書く。「である」口調で書いた文章は、著書からの理解を書いたものであり、現在正統と看做されている歴史として認識されているものとは限らない。) 

 

歴史は、「“政治的集団”(皇帝や王などに率いられた集団;国民国家など)を形成した人々の活動や様子について、各種資料から “真実”を抽出把握及び解釈して、因果関係と伴に、(世代を超えた)時間と(地図上の広い)空間という座標上に、叙述展開した思想である」と定義できる。(注1)

 

世界中の出来事に関する記録を集めれば、単に記録の山が出来るだけである。その記録から“真実”と思われる出来事やその意味を取り出すには幅広い知性と訓練された技術が必要である。“真実”と定義したのは、その時の知性を集めて得た出来事とその意味であり、本当の意味での真実は誰にもわからないので“真実”と” “をつけた。

 

従って、それらの因果関係と時間的地理的関係は、解釈する者やその立場により異なるので、歴史は科学ではなく文学である。(82頁)この文学であるとの理解があれば、他国の歴史に対して、歴史認識が正しいとか間違っているとかの批判は本来あり得ない。何故なら、正しい歴史などこの世にないからである。(注2)<br>

 

歴史を構築するとき、そして、歴史書を読む時に注意を要するのは、歴史の主人公とでも言うべき人の“政治的集団”が、地方豪族のトップである王、そしてより広い範囲を治めた皇帝、そして、国民国家などと時代と伴に変化し、場合によっては混在していることである。例えば、東アジアにおける唐や高句麗の歴史を考える場合、それらの“国”を適正に解釈しなければ、本質的な誤りを犯すことになる。

 

近代になって現れた、国民国家という人の“政治的集団”は米国の建国(1789年)やフランス革命をきっかけにして広まった(158頁以降)。その国民国家が現れてまだ、200年程度しかたっていない。中世以前の帝国の歴史を分析しようとするとき、”帝国”を現在の国民国家のような感覚で認識すると、何かと誤解をしてしまう。

 

中国と周辺諸国との朝貢関係を、宗主国と従属国という国家間の関係と一様に受け取るのは間違いであると著者は指摘する(202頁)。この理解は、「琉球は昔中国へ朝貢していたので、琉球政府が消滅した現在本来中国領だ」という暴論を退けるのに役立つ。(注3)

 

ところで、歴史書としての起源と看做されるものは、中国の司馬遷が書いた史記とヘロドトスが書いたヒストリアイである。二つの歴史書はその性格が全く異なっており、そして、その後の中国周辺とヨーロッパの歴史書はその影響下に書かれており、二つの歴史書は東西の歴史書の遺伝子の由来としての意味も持っている。

 

史記は中国における前漢(紀元前2世紀ころの中国)の武帝が天命により皇帝になったことを主張する為の物語である。周辺諸国の歴史書は史記のような帝国の正統性を示すという書き方をしている。

 

日本の歴史書である日本書紀も、史記の遺伝子を継承し、天皇を頂点にして建国された日本国の正統性を示す為に編纂された。つまり、7世紀後半、百済を滅ぼした唐の圧力の下で統一をいそいだヤマト朝廷が、外国への力の誇示と国内での結束を高める為に編纂した歴史書である。

 

(史記では)秦の始皇帝より古い時代から始まる歴史を書くので、神話の創造とそれを利用した歴史の創作がおこなわれた。一般的に言えることであるが、歴史書はその動機や特殊性を念頭において読まなければならない。日本書紀の中にある、神武天皇の祖先が高天原から下って地上の王となったという物語を真に受けて高天原探しが始まったのは、この東アジアの歴史観と歴史書の性格を見誤ったことが原因である。(注4)また、天皇家が大陸のどこかから半島経由で日本列島に至ったという説も何の根拠もなく、古事記の歴史書としての性格を間違って評価し解釈したことによる。(96頁) 

 

一方、ヒストリアイは紀元前5世紀ころのペルシャとギリシャの戦いについて調査記述したものである。ヒストリアイの序文に、「複数の政治勢力の対立・抗争により世界は変化する。それらがやがて世の人々から忘れ去られるのを恐れ、それらをかき述べる(要約)」とこの書物の性質が述べられている。そして、ヒストリアイが歴史(英語のhistory)の語源となり、歴史という文化の出発点として受け取られている。

 

現在の歴史書に関する標準的な理解はこのヒストリアイのものである。ヒストリアイの歴史観は、善(ギリシャ、ヨーロッパ)はやがて悪(ペルシャ、小アジア)に打ち勝つというもので、それはキリスト教的歴史観と一致する為にグローバルスタンダード的な歴史観となった。この歴史観と十字軍の関係についての記述も興味深い。 

 

以上の他に、歴史の定義と関連して重要な記述がある。それは、歴史が把握されなかった文明とその特徴である。例えば、インド文明やイスラム文明で、極最近まで歴史というものが文化の中に把握されていなかった。それは、輪廻転生の考えが支配的な文化の下では、出来事を因果関係とともに時間軸に沿って展開することが不可能だからである。

 

また、イスラム文明では、未来は神の領域にあるため、文化は(上記の歴史の定義の中にある)時間と空間以外に広がっているためである。更に米国が、歴史のない文明として挙げられている。米国は13州が英国から独立したのが18世紀末で、その後米国に移民として入り、自分の意志で米国民になった一世が今なお存在し、二世三世が多くなったのは20世紀の中頃である。従って、文明に歴史を展開する十分な時間軸がなく、“自国の歴史”という感覚がない。そのため、米国民というアイデンティティーは独立宣言と合衆国憲法前文だけであり、その文面をイデオロギー的に意識する。 

 

現代、キリスト教的歴史観とアメリカ的自由主義がグローバルスタンダードとして君臨する時代である。しかし、近い将来、西欧とアジアの間のトラブルが国際社会の大きな問題となる時代が来るだろう。その際、上記国際標準の由来などを始め、歴史に関する知識と感覚が益々重要になると思う。 

(2014/2/03;修正:2/04) 

 

追補:岡田英弘氏は東洋史学の専門家。1953年東大史学科卒、その4年後の著作物により日本学士院賞を受賞したとウィキペディアにある。東京外国語大名誉教授、2017年没。配偶者は東洋史学者の宮脇淳子氏である。https://www.youtube.com/watch?v=bjaKGer5Kc4 

 

注釈:

1) 著者の定義、「歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである」(10頁)を私の理解した部分を追加して定義した。

2) 韓国が日本の歴史は面白くないという不満の表明があっても良い。しかし、歴史は文学であるから、歴史認識が間違っているという批判はおかしいと思う。実際に被害があれば、損害賠償を要求すればよい。日韓基本条約締結後であるから、条約違反というクレイムはあり得ても、歴史認識が正しくないというクレイムはあり得ない。 

3) 朝貢は、周囲の王が中国の皇帝に会い、貢ぎ物を差し出すことである。中国の皇帝が使者を使わして朝貢を要求し、それを歓迎したのは、自分が正統なる中国の皇帝であることを証明する証拠として利用したかったからである。そのため、多くの場合、貢ぎ物より多くのものを朝貢した王は持ち帰ったのである(別の文献)。形式的にその地方の支配者であることを認める冊(任命書)やその印としての印章は、必ずしも宗主国と属国の関係を示すものではない。 

4) 日本の騎馬民族征服王朝説などは、日本書紀などにある神話を、西欧の合理主義的観点で解釈した為に生じた。