はじめに:30年間を誤らせた「財政緊縮」という幻想
「失われた30年」をめぐる議論では、“日本は財政緊縮だったために停滞した”という単純な物語が繰り返し語られている。しかし、この認識は歴史的事実と整合しない。
バブル崩壊後の日本政府は、景気対策を名目として補正予算を乱発し、公共事業を積み上げ、赤字国債を大量に発行してきた。その結果、今日の日本は世界最大規模の政府債務を抱えている。もし本当に緊縮財政を続けていたのなら、ここまでの債務残高には決してならない。それが紛れもない歴史の事実である。
それにもかかわらず、“財政緊縮が停滞の原因”という誤解は国民に広く浸透し、驚くべきことに、国会議員の多数派ですら同じ認識に立っている。その結果、制度改革よりも「もっとお金を使え」という大衆迎合的な議論が勢いを増し、政策判断の軸が根底から歪んでいる。
YouTube番組『【失われた30年】元凶は財政政策の誤り?竹中平蔵 vs 会田卓司』は、この誤解がいかに日本の議論を覆っているかを象徴していた。https://www.youtube.com/watch?v=Yp6Ko7K0yLc
コメント欄では竹中平蔵氏への批判が渦巻くが、その多くが 「政府が支出しなかった」 という前提に依拠している。だがこの前提自体が誤っている。
そして、こうした誤った大衆認識の延長線上で、高市政権は財政拡大論者の会田卓司氏を経済顧問に起用した。これは国民の怒りと不満に寄り添う“耳あたりのよい選択”ではあるが、政策としては非常に危険である。制度設計を無視した財政ポピュリズムが経済をさらに誤った方向へ導きかねない。
本稿では、番組での両者の議論を踏まえ、30年の停滞の本質と、制度設計を欠く経済政策の危うさを改めて整理したい。
1.停滞の原因──制度を見るか、需要を見るか
番組の最初に、司会者が「現在の財政をどう思いますか」という質問について、会田氏は「緊縮財政だと思う。何故なら、日本の景気が十分強くないからです」と明確に言っている点が印象的である。景気の責任は全て財政にあるというのである。(動画の3分10秒まで)
それを補強するために、会田氏は一枚のグラフを示し、「日本経済は30年前までの成長期には需給ギャップがプラスでその間企業の貯蓄率はマイナスだった。しかしその後の30年間需給ギャップがマイナスになり、企業貯蓄率はプラスになった。(下図は上記動画からコピーさせていただきました。著作権上の問題が指摘された場合、削除する可能性があります。)
政府がこの需給ギャップを埋めるべく財政運営を行わなかったのが、この間の経済停滞の原因である」とのべ、企業の設備投資がこの30年間なかったのが政府の緊縮財政の結果であると暗示した。
その一方、竹中氏は石破政権までは結局緊縮ではなかったと述べている。上のグラフについて竹中氏は、企業の貯蓄率がプラスになり設備投資に使わなかったのは、投資機会に恵まれなかったからであり、政府はその障壁を取り除かなかったからであると語った。
竹中氏は、世界文明の変曲点に差し掛かっている今、国家は財政を拡大してそれを乗り切り生き残るべく努力することが重要だというものの、これまで財政の中身を議論しなかった政府にそれが可能かどうかに疑問を呈した。
更に議論が社会保障や教育、研究開発までつづくが、会田氏はマクロな視点であり竹中氏のミクロな視点での議論に踏み込むことはなかった。番組も中盤になったとき、司会者が両者にこう問いかけた。「日本の停滞の原因をどのように分析されていますか?」
この問いに対する回答は、二人の経済観の根本的な違いがより一層明確にした。会田氏はその後も竹中氏の指摘には応える様子はなかった。この部分のみを以下さらに詳しく述べる。
● 竹中平蔵氏:制度が投資の機会を奪った
竹中氏は、停滞の本質をこう語った。「日本企業の投資を阻んでいるのは需要不足ではない。制度の側にある障壁である。」これはきわめて重要な指摘である。竹中氏は、政府が作り出すさまざまな制度──
-
行政規制の多さ
-
労働市場の硬直性
-
複雑で歪んだ税体系
-
許認可に時間がかかる行政手続き
-
“撤退する自由”すら十分に保障されていない市場環境
これらが企業の投資インセンティブを奪い、国内経済の活力を衰えさせていると明確に批判した。ここに竹中氏の議論の核心がある。政府が支出しなかったことが問題なのではなく、政府が“誤った制度”を温存してきたことこそが停滞の原因だ。
● 会田卓司氏:需要不足こそ問題だ
一方、会田氏の回答はシンプルである。「政府が経済規模を拡大する責務を放棄した。だから停滞した。」つまり、政府支出が足りないから民間投資が行われず、所得も伸びず、成長もしなかった——という立場だ。
しかしこの説明は、日本企業がなぜ国内に投資しないのかという根本問題に触れていない。制度が悪ければ、需要を作っても企業は投資しない。これは海外投資の増加が明確に証明している事実である。
会田氏の議論は、“需要さえ作れば経済は回復する”という単純化されたケインズ的モデルに依存しており、制度の硬直が日本経済の最大のボトルネックだという視点を欠いている。
2.会田氏の「高圧経済」論の危うさ
会田氏は「高圧経済」という言葉を用い、政府が積極的に財政支出を行い、潜在成長率を超える水準で経済を運営すべきだと主張した。だが、この議論には三つの重大な欠陥がある。
① 企業の投資を阻んでいるのは需要不足ではない。制度の側にある障壁が投資機会を奪っている以上、需要拡大だけでは投資は起こらない。
② 財政出動では内部留保は減らない。需要が多少増えても、制度が変わらなければ企業は慎重姿勢を続ける。財政拡大は内部留保の増加につながりかねない。
➂ 高圧経済はインフレと財政赤字を蓄積させる。制度が変わらないまま財政拡大を続ければ、財政の持続可能性が損なわれるのは避けられない。要するに、制度を変えずに財政だけを増やす政策は“空回り”する。これが会田氏の議論の最大の弱点である。
3.企業投資の海外流出と株主還元の増加
近年、日本の一流企業が国内ではなく海外に投資する理由は明白である。
-
生産性向上の余地が大きい
-
税制が有利
-
規制が緩い
-
労働市場が柔軟
-
経済が人口面で拡大している
つまり、“その海外の国の制度の方が投資に適している”からである。国内では投資しても報われにくい制度が残り続けているため、企業は日本国内での労働生産性向上よりも海外における企業規模の拡大で、利益を追求してきたのである。
同時に、企業の株主還元は過去最高を更新し、配当と自社株買いの総額は37兆円を超えた。これは自社株買いによって低迷する日本の経済下でも会社の評価を海外のものさしに耐えるようにする、つまり海外資本の企業買収に抵抗するためでもある。
それは“企業が国内に投資しないから悪い”のではなく、制度が投資の魅力を失わせている証拠である。制度が変わらない限り、財政拡大をいくら行っても企業は国内に戻ってこない。むしろ円安から国内景気の低迷がつづき、日本に残る優良企業もソ連解体時のように、欧米資本に買収されてしまう可能性が高くなるだろう。
終わりに:制度を無視した財政拡大は国家を滅ぼす
高市政権が会田氏を経済顧問に選んだことは、国民の“不満”に寄り添う選択としては理解できる。
しかし、政治が耳障りのよい財政拡大論に流されれば、制度改革はますます後回しにされるだろう。制度は政治の意思によってしか動かない。制度を動かさずに財政だけを拡大する政策は、長期停滞を固定化するだけ、最終的に途上国としての日本が残るだろう。
もし今後も、需要創出さえすれば企業は投資するとか、政府が経済規模を押し上げれば日本は復活できる、という誤った前提に基づき政策を続ければ、企業の海外流出と国内の空洞化、貧富の差の拡大はさらに進むだろう。
経済政策は人気ではなく、制度的整合性と持続可能性によって評価されるべきだ。今こそ政治家は、“耳障りの良い主張”ではなく“制度に根ざした責任ある判断”を下さなければならない。さもなければ、高市政権の財政ポピュリズムは、日本経済を取り返しのつかない方向へ導くことになる。
(本稿はマイクロソフトcopilot及びOpenAIのchatGPTの協力により作成されました)
