1.再び繰り返される「政治利用」の構図

高市早苗首相は、113日に開かれた「拉致被害者の帰国を求める国民大集会」に出席し、北朝鮮に対して首脳会談を呼び掛けたと報じられている。しかし、その呼び掛けがどのような目的を持ち、何を交渉するつもりなのか、国民には明らかにされていない。

 

北朝鮮側は一貫して「拉致問題は解決済み」と主張しており、会談の見通しは極めて不透明である。このような状況下で、政治的効果を狙って被害者家族の悲しみを利用することは、過去と同じ愚の再演に他ならない。

 

かつて安倍政権がこの問題を「政治的正義」の象徴として掲げたように、高市政権もまた、同じ構図に陥っている。「正義を語る政治」がいつの間にか「支持率を稼ぐ政治」にすり替わる。そこに被害者家族の尊厳や、問題解決への冷静な戦略的思考は存在しない。

 

2.日米両首脳による「利用」の連鎖

さらに見逃せないのは、この構図が日米両国の政治的パフォーマンスとして連動しているという点である。安倍氏がそうであったように、高市氏もまた、トランプ前大統領を象徴的な「圧力カード」として利用しようとしている節がある。

 

実際、自民党の公式サイトに掲載された声明(https://www.jimin.jp/news/information/211692.html)でも、トランプ氏との協調姿勢が暗に示されている。

 

しかし、そもそも朝鮮半島の分断そのものが、第二次大戦後の米国による冷戦構造の遺産である以上、南北問題は米国にも深い責任がある。その「未解決の構造」を棚上げしたまま、トランプ氏が一時的な人気取りのために金正恩と会談し、日本の政治家がそれを追随して「拉致問題を前進させるチャンス」と宣伝する構図は、根本的に倒錯している。

 

拉致問題は、被害者の帰国だけを求める「情動の政治」ではなく、冷戦構造と東アジア安全保障の再設計を伴う「構造的政治課題」として捉えるべきである。トランプ氏を利用するのではなく、トランプをして朝鮮半島の恒久的安定を模索させる外交努力こそ、真に戦略的な日米協力の在り方である。

 

3.「お金で解決する」危険な幻想

仮に高市首相が北朝鮮への経済支援や「補償金」を交渉材料にしようとするなら、それはきわめて危険である。なぜなら、その資金が北朝鮮の戦術核兵器や弾道ミサイルの開発費に転用される可能性が極めて高いからだ。

 

これは、かつての「日朝平壌宣言(2002)」における経済支援構想が抱えていた致命的な矛盾の再来である。日本が「善意」で行う援助が、やがて日本自身の安全を脅かす軍備に変わる――これほどの自己矛盾はない。

 

4.国家責任としての「被害者賠償」

この問題の根本は、北朝鮮だけにあるのではない。日本国家は、長年にわたって自国民が拉致され続けた事実を、結果として防げなかった。沿岸警備・情報収集・外交交渉のいずれの面でも、国家としての保護義務を果たせなかったのである。

 

したがって、まず行うべきは、自国民の安全を守れなかった日本国の責任を明確にし、これまで「拉致問題解決」と称して行ってきたことについて謝罪することである。その上で、被害者家族に対し現状国家ができることの限界と現実的な行動計画を提示しながら丁寧に説明た上で、国家賠償を行うべきである。

 

それを行わずに「外交パフォーマンス」ばかり繰り返す限り、日本はいつまでも「責任を取らない国家」というイメージから抜け出せない。

 

5.真の解決への道──北朝鮮の国家承認と正常化

本来の拉致問題の解決は、北朝鮮を国家として正式に承認し、正常な外交関係を樹立することから始まる。北朝鮮自身が近年、「韓国は別の国であり、敵国である」と明言しているように、南北統一の幻想は既に崩れている。一方で韓国でも、「北との統合」を志向する世論は著しく減退している。

 

この現実を踏まえれば、東アジアの安全保障秩序を再構築する鍵は「日本、韓国、北朝鮮の三か国関係の正常化」である。ただ、その前に日本、韓国、米国の三か国で、朝鮮戦争の終戦を目指す方向を共有するように提案するのが良いだろう。

 

そのように日朝国交が正常化すれば、拉致問題は正式な外交議題として扱われ、日朝基本条約交渉の枠内で解決可能となる。さらにそれは、北東アジアにおける緊張緩和と日本の防衛上の安定にも寄与する。

 

トランプ氏と協力すべきは、「制裁の拡大」でも「敵対の煽動」でもなく、朝鮮半島の恒久的安定と国家承認の方向に舵を切る外交構想である。これこそが、アジアにおける米国の負担を軽減し、日本の安全保障を強化する現実的な道である。

 

結語 正義を取り戻す政治へ

拉致問題は「感情」ではなく「構造」の問題であり、「敵を非難する政治」ではなく「責任を引き受ける政治」こそが求められている。被害者の苦しみを再び政治の舞台装置にしてはならない。

 

真の解決は、日本が国家としての責任を自覚し、北朝鮮を対等な交渉相手として認め、冷戦の残滓を超えた新たな東アジア秩序を構想することにある。その一歩を踏み出す勇気こそ、いま日本の政治に最も欠けているものである。

 

(本稿は、2019年の記事「拉致問題を政治利用することは卑怯である」を基に、ChatGPTOpenAI GPT-5)の協力により全面改稿したものです。)