今日朝のザプライムで、香港警察によるジミーライやアグネスチョウ(敬称略)らの逮捕に関して、日本の官房長官が遺憾を表明した件、内政干渉になるかどうかの議論があった。

橋本徹さんは、日本の安全保障に関係するという形で意見表明すべきであると主張して、官房長官の言い方に否定的であった。その一方、甘利元経産大臣と櫻井よしこさんらは内政干渉には当たらないと言っていたと思う。

この件、内政干渉の定義にもよるが、中国のやり方は汚いと表明する自由は、どこの政府にもある。それが内政干渉に当たるといえば、そんな内政干渉はお互い様である。干渉しながら、国際社会で日本も中国も生きている。社会を作るということは、国家が作る国際社会でも、互いに干渉するということである。その基本が分かっていないのだ。

橋本さんは、北方領土問題を出して、それに中国が意見表明したらどうか?と言って、甘利さんらの考えへの反論としていたが、的ハズレである。橋本氏は、もっとしっかりしていると思ったががっかりである。当然、「国後は日本の領土でない」という自由は中国にある。しかし、それは中国は一文の得にもならないから言わないだけである。

中国ではウイグル人を収容所にいれて虐待していることは広く知られる。それを批判することも、内政干渉である。中国はそれに怒ることも自由である。しかし、国際社会の一員として、取引などをすることを希望するから、中国は損得を考えて「虐待はない」とシラを切ることにしているのだろう。

現在は、欧米が確立した主権国家体制(ウエストファリア体制)にある。それは、主権国家間に、個人のプライバシーのようなものと、社会のルール(法や道徳)のようなものを認めようということである。ただ、普通の社会と同様、プライバシーにも法や道徳に触れるプライバシーもある。それは非難されて当然である。

つまり、ウイグルでの異民族虐待や、香港での個人の人権の異常な束縛(事後法による処罰など)は、国際社会では法に触れるプライバシーにあたる。

ただ、日本政府も日本人も気をつけるべきは、その欧米の国際政治文化には、権威と権力の下の法のような力はない。国家間は、基本的に野生の関係にあることを自覚すべきだ。つまり、中国は自国の支配下の人民を1億殺害しても、それを裁く権力はどこにもないだろう。日本人を原爆で皆殺しにして、その後で移住しても、それを処罰する事はできない。(補足参照)

他の国ができるのは、中国は恐ろしいと考えて遠ざかることだけである。

補足)朱徳(元人民解放軍元帥)の外孫の朱成虎空軍少将は、人口密度の高いインドや日本は、核兵器で一度絶滅させる方法もあると、公の席で発言している。これを聞いた古森義久は、背筋が寒くなったと言った。(ウイキペディア参照)

 

この文章を骨子にして、もう少し詳細に姉妹サイトで議論しました。そこを御覧ください。(23:10追加)

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