小沢一郎の本「日本改造計画」では、民主主義政治がまともに機能するためには個人の自立が大事だということを明らかにした。この日本国を支えるのは日本国民各個人であり、その個人が自分の正当な権利を主張することが、民主主義(民主共和制)の原点だからである。

 

その民主主義の原点は、ギリシャやローマの時代に遡る。そこで、貴族的共和制から民主制への移行は、一般民の兵士としての活躍があった。日本で武士が政治の実権を握ったのも、夷狄や内乱に対応出来るのは武力だったからである。

 

生物の方でも、単細胞から多細胞生物、更に哺乳類への進化の背景には、常に外敵との戦いの歴史があったことは明らかである。従って、理想主義、平和主義はそのまま民族の崩壊に繋がるということになる。

 

つまり、国家の中で平和主義や理想主義が席巻するときには、その国家をコントロールする企みやその国家を崩壊させる企みが裏に存在する。それは、下記の馬渕睦夫氏の動画が解説しているとおりである。

https://www.youtube.com/watch?v=xxC2giu1bjk&list=LLfAlDzY3ieElTXtmdKHY84Q&index=7&t=551s

 

馬渕氏が言っているのは、タフトに代わって何故あの理想主義(インチキ)のウィルソンが大統領になったかという話であった。この当たりから世界政治は、表層の理想主義と深層の現実主義という二重構造において、後者が主になった。

 

現在の日本は表層がほとんどであり、この点からも崩壊の前夜にあると考えても過言ではないだろう。その時限爆弾的装置の組み込みは、平和憲法やWGIP(war-guilt information program; 日本は悪いことを考え実行したので戦争になったという布教活動)として、米国が企んだのだろうが、その宗教を払拭できなかったのは、日本人とその文化に原因を求めるべきだろう。

 

その文化とは、学ぶことは重視するが、自分で考え主張することは軽視(蔑視)するという特異な文化である。明治の革命も自国(自分たち)で考えて為し得たことではない。主として英国の影響が大きかっただろう。最初は、薩長の攘夷運動とそこから派生した討幕運動に過ぎなかった。その革命の動力(エネルギー)の出処や経緯をその後考えなかったことが、自己過信になり昭和の国家崩壊に繋がった。

 

2)日本文化において、“自国(自分)で考え主張することの軽視”とは、自分で考える人物にリーダーとしての地位を与えないことによる。それは、念仏重視、論理軽視、「和を持って尊しと為す」、人命最重視などの文化に原因がある。

 

それは、別表現では人柄重視、頭脳軽視の文化である。責任や説明などを軽視し、思いやりや忖度を重視する文化である。節約を重視し、大胆な切り捨てや投資を忌み嫌う文化である。恒常を好み、変化を嫌う文化である。

 

その一例は天皇元首制である。太平洋戦争時の特攻隊員には、国体護持つまり天皇陛下のために死ぬことを要求した。その愚かな政治形態を未だに日本の本来の姿だと信じている人が自民党などには多い。時代は変わった。天皇は伊勢神道の中で、天皇家の論理で永続的に維持されれば良いのである。(補足1)

 

そもそも、「日本の本来の姿」など有る訳がない。存在するのは、日本に済む住人であり日本国民である。その繁栄を考えるのが、日本の目指すべき政治である。「本来」という恒常的なものを求める愚者は、政治の舞台から降りるべきである。

 

また、北朝鮮といえば拉致問題、韓国といえば必ず馬鹿にするなど、思考停止する日本人には将来はない。拉致問題は日本の沿岸警備などの行政ミスであり、今となっては(戦争で取り返す以外の)外交問題として考えるのは間違っている。

 

韓国や中国が反日反日帝で国内を引き締める方法を馬鹿にするのは愚かなことである。日本がそんな方法が通用する国だということに気付くべきである。

 

(素人が直感で書き殴った文章です。批判と議論は大いに歓迎します。<=この文と補足は午後5時40分に加筆)

補足:

1)天皇家は外交の表層で非常に大きな力となる。その天皇家が日本の宝でありえるのは、それにより生じる弱点も意識し避ける方法を確立した後である。もし、現実的・深層的外交ができなければ、戦前のような天皇に頼り、天皇とともに倒れる日本国になるだろう。