1)最近のニュースでパワハラやセクハラが話題になることが多い。今年のピュリッツァー賞にハリウッドの大物プロデューサーのセクハラ疑惑を報じたニューヨーク・タイムズ紙とニューヨーカー誌が公益賞を受賞したという。
 
ここ数日の日本のニュースでも、財務事務次官のセクハラ疑惑が問題になっている。それで公務員が職を失う可能性があるという類のニュースが流れると、刑法か何かに新しい条項が出来たのかと思う程である。今日のテレビのバラエティ番組でも、肩をぽんと手のひらで叩いた場合でも不愉快になる場合もあるので、セクハラにならないように気をつけるべきだという類の発言もあった。http://lite-ra.com/2018/04/post-3955.html
 
これらの報道に、私は非常に不思議で不愉快な印象を持った。世間知らずの老人と言われることを覚悟の上で言うが、嫌な男に肩を叩かれたら、上司であっても「やめて下さい!」と言えば良いではないか。官庁の事務次官相手でも、セクハラ発言をしたのなら「そんな失礼な言葉は許しません!」とその場で言えば良いではないか。
 
それをグチグチとセクハラとかパワハラとか言ってその場は何もしないで、後で集計して社会問題化するのは、あまりにも情けない。或いは、その時点ではそのような発言や態度を許すことで、取材等で便宜を得て、ずっと後で週刊誌に記事のネタとして売り飛ばしたとしたら、それこそ犯罪ではないのか。
 
2)パワハラやセクハラのハラースメントは嫌がらせや迷惑位の意味を持つ言葉である。それらは、その場で相手に指摘するなどして、解消すべきことである。それほどプライドを傷つけられる職場なら上役にその指摘を先ずすべきである。その結果、職場をクビになったのなら、その時点で不当解雇として訴えるべきである。
 
パワハラやセクハラをした人に対して、一回だけの“嫌がらせ行為”でクビを切るのは異常だし、繰り返しその種の嫌がらせをさせ続けた上で、それをまとめて借金伝票の束を叩きつけるようにしてクビを切るのも異常である。いったいこの社会はどうなっているのか。その異常な社会に関して、報道機関などで発言できる人たちが何も言わないのはどうしたわけか。記事のネタが消えるから言えないだけなのか。
 
私企業がハラースメントであれ、何であれ、契約に違反しない形でクビを切るのは正当な行為である。その種の解雇は、セクハラやパワハラの問題ではなく、不必要な人間だからパワハラ行為などの証拠を利用してクビを切ったということだろう。多くの人はその職場以外で働く能力は持っているだろうから、その件はセクハラやパワハラの問題ではなく、労働力の流動性を高めれば解決する別の問題ではないだろうか。
 
一方、実際には法的責任をとる必要がある場合もある。しかしその場合は、刑法に違反する“古典的”な犯罪であり、それには明確な犯罪名がある筈である。つまり、セクハラやパワハラと言われる行為一般で法的責任をとる必要はない。もっと丁寧に言葉は使えないものか。兎に角、西洋語をありがたがって多用することで、言語環境が汚染されている。もう一つの環境破壊である。

追補

1.「セクハラは失礼な行為だが、女性記者を派遣して、多少セクハラを受けるくらい近づけば、あの次官から記事になる言葉がとれるだろう」、そう考える報道機関のボスが居たとしたら、その人もセクハラで批判されるべきである。
2.福田次官の言い分も想像してみて下さい。「魅力的な記者が近づいてきたので、セクハラ的な発言を誘発された。迷惑な話だ。そのせいで、大事な国家の機密をばらしてしまった。それが問題化された今、おれは枕を高くして眠れない。」身勝手な発言だが、男性なら完全に福田次官を批判する側に廻れるのか?
3. 例えば口先だけのセクハラなら、止めろとだけ言えば良い。実際に触ったのなら、顔を平手打ちでもすれば良い。デウィ夫人の米国での失礼な女にたいする姿勢が参考になる。