【討論】戦後日本人は変わってしまったのか?[桜H29/12/23]
の1時間目を視聴した。コメントを投稿したので、そのコピーを掲載する。もし、以下のサイトの動画を視聴されたのなら、以下のイタリックで書いたコメントは参考になると思う。
全体として、佐藤健児氏の話が印象に残ったが、他は雑談的であった。
https://www.youtube.com/watch?v=jeULK-D266k
1)もっとも的確な議論の出発点が佐藤氏により与えられたと思う。つまり、「日本人は変わったのか?」という問題提起自体を先ず定義しなくてはならない。水島氏が割って入ったように、主催者側は元々は日本国は変わったのか?に関心があったようだ。
ここの議論で問題なのは、発言者らは日本人と日本人の行動の区別さえ、十分していない点である。文系の方は数学に弱いようだが、y=f(x)という式を見れば、もうすこし論理的な話ができただろう。ちなみに、yは行動、fは人間の性質、xは条件あるいは動機である。
日本人というf(function)を議論したいのか、x(独立変数)という状況によって現れたy(従属変数)という行動を議論したいのか?と問えば、fに決まっているというだろう。しかし、fは直接は見えないのだ。yという行動とxという状況から、fを推定し確定するのである。
GHQの戦後犯罪情報プログラム(WGIP:一説には日本人洗脳計画)は単にxであり、その結果のyを見て、日本人は洗脳されてしまったと嘆くのは滑稽ですらある。佐藤氏が言うように、fは1000年単位でかわるのであり、70年くらいで変わるものではない。
2)1時間目最後の方での西部さんの発言について:四民平等を低く評価しているが、それは間違いだろう。従来の武士の戦いは時代遅れであることを知り、近代戦を戦うためには従来の武士階級を破壊する必要があった。その原点には、長州の奇兵隊がある。
もうひとつ、先の大戦で、300万人が死んだのだが、米国などにレジスタンスを示さなかったのは可笑しいという類の話があったが、それも完全に間違っている。そもそも、西部さんが言った国家という考えがおかしい。
佐藤さんらの話の中での国家は時の支配機構のことで、国民は被支配者である。普通選挙以降に、国家の主人公として国民を持ち上げようとしたが、しかし戦前は一貫して非支配者だった。レジスタンスがなかったのは不思議でもなんでもない。
国民一般は、日本列島とその島の住人を守るために、満州、中国、インドシナなどで戦ったという意識はなかっただろう。戦後新たに支配者としてマッカーサーがあらわれたのであり、終戦は、単に支配者の交代だったのだ。レジスタンスなど起こる筈がない。
なお、東京物語などの映画は、明治以降の国家支配機構は破壊されたが、それは国民とは一体ではなかったこと、そして、日本の住民は、ずっと昔から、そして、今後とも、営々として生きていく姿を描いたのだと思う。
3)あまり面白くないので、2時間目は飛ばした。3時間目の最初だけ見て、感想を追加する。おそらく、それだけで十分なような気がする。
思想なき国土強靭化計画は金の無駄遣いにおわるだろう。日本の体たらくは、自民党の55年体制に始まる。そのときの政綱の6番目の項目に、「集団安全保障体制の下、国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える」とある。それは米軍が撤退しなくても、それに備えるだけだから、ベトナム戦争が終われば米国に利用されることもなく憲法改正できた筈。
つまり、憲法改正の時期は遠いという安心感の元に、口先だけの人間が結託して何もやらない何も考えない政党をつくったのではないのか。日本は、個人が独自の意見を持ち、それに従って行動するという文化がない。その日本文化の特殊性を周恩来とキッシンジャーは「日本というけったいな国」と言ったのであり、それに怒るだけでは「鏡を見て、自分の姿をよく見ろ」といわれるだけだ。この部分、三時間目の最初だけみた感想である。