前回紹介した”日本の戦争犯罪資料研究:小論(Researching Japanese War Crimes Records: Introductory Essays)の全体についての簡単な紹介と第一章と第二章に書かれた慰安婦に関する部分を訳して紹介します。詳しくは原文をみてください。内容に対する責任は持ちませんが、間違いの指摘、意見等は歓迎します。
§1:全体について簡単な説明
Researching Japanese War Crimes:Introductory Essay は米国の国立情報局(NationalArchives and Records Administration;NARA)による240頁ほどの日本の戦争犯罪について書かれた解説書で、研究者が公開された戦争犯罪に関する資料を調べる時の入門書である。2006年にNARAにより公開された。
目次:第1章:イントロダクション;第2章:日本の戦争犯罪の証拠書類と研究:中間評価;第3章:日本の戦争犯罪について国立情報局で新しく公開された資料;第4章:日本の戦争犯罪に関する国立情報局資料の調査起点;第5章:アジア太平洋戦域における戦時通訳通信記録1978-1997; 第6章:没収及び差し押さえられた戦争犯罪資料の利用について、1942-1945; 第7章:没収及び差し押さえられた日本の資料の返却に関して;第8章:その他情報(正確な情報としては以下の原題を見て下さい:Chap.8 The Intelligence that Wasn’t: CIA Name Files, the U.S. Army, and IntelligenceGathering in Occupied Japan)
第二章は戦争犯罪の定義に始まる。ここでは、戦争犯罪とは比較的新しい概念であるという文章から始まる。(補足1)
この資料においては、日本の戦争犯罪を4つのカテゴリーで取り上げている。1)日本のアジア一般における戦時残虐行為、2)戦争捕虜や市民労働者の虐待(mistreatment)、3)生物兵器や科学兵器に関するもの、4)所謂慰安婦に対する強制売春、である。
残虐行為として南京大虐殺についてかなりの頁を割いている。一言だけ紹介すると、「少なくとも数万という便衣兵が日本兵により上官の命令に従って殺戮された。そして、1980年代中期に日本の退役軍人の会である偕行社の代表が、この件に関して中国国民に対して謝罪をおこなった。」(原文:補足2)
§2:慰安婦問題
第1章に短い慰安婦に関する記述がある。その概略は以下の通りである。
戦場の売春宿で若い女性に売春行為を強制したとされる日本軍のシステム(慰安婦の件)を巡って、論争が特に韓国で湧き上がっている。1994年にGeorge Hicks著の“慰安婦:第二次世界大戦時における日本の野蛮な強制売春制度”(The comfort women: Japan’s Brutal Regime of Enforced Prostitutionin the Second World War II)が初めて英文でこの件を紹介し、その強制された婦人が日本に補償を求めていると書いた。1990年代の終わりになると、慰安婦の苦境が米国のフロント頁に踊りでて、婦人の権利の主唱者などが日本政府に戦争時の人権無視にたいする責任を認めるよう要求した。
第2章の最後に、“From Mass Rape to Military “Comfort Women”というセクションが設けられ、2ページほどの記述がある。その概略を以下に書く。(この部分の全文は次の投稿に掲載します。)
中国や東南アジアでの性的暴力行為が頻繁に起き、それが日本軍の評判を貶すことになった。それに気づいた日本軍は少数の日本兵を軍法会議で処罰する一方、1932年ころから民間の業者と慰安所(comfort stations)設置の契約を行った。
連合国はこの事実を知っていたが、一件を除いて犯罪として把握して戦後裁判で裁くことはなかった。その一件とは、インドネシアにおいてオランダとその他ヨーロッパの若い婦女子を多数に対し、日本人に性的サービスを強要した事件である。この件の日本人責任者は戦後オランダ当局者により処罰された。
1970年に入り、日本の2、3人の著述家が日本帝国軍人の犯罪として取り上げた。(補足3)広く注目されるようになったのは、1990年代の始めに一人の韓国人女性が公開の場で軍での売春を強要されたと証言してからである。彼女の証言は“慰安婦”の件における活動家を元気付けた。(原文:Her account galvanized activists around the “comfort women” issue.)
初期には日本語と韓国語での著述がほとんどだったが、現在無数の英語の著述も発表されている。他の戦争犯罪を圧倒する程国際的注目を集めたのは、一つには女性に対する性暴力に関する基準と人間としての権利に対する関心が新たになったからである。
最初、日本政府は公的な関与を否定していた。その後、吉見義明氏が防衛省資料館において当時の政府の直接関与を示唆する書類を発見したとして大きく報道された。彼はその後次々とそれらを一次資料集として、連合国通訳部門の報告書などを含めて発表した。一般の圧力の下、日本政府は慰安婦問題への関与を認め、私的な財源を用いて元慰安婦への償いのためのアジア女性基金(AWF)を設立した。
AWFは1996年に歴史委員会を設立し、日本、米国、オランダ、台湾から有効な資料の収集に努め、さらに歴史家にインドネシアとフィリピンの元慰安婦からの聞き取り調査を依頼した。それらの資料は複数刊の資料集及び網羅的な文献集として結実している。吉見氏によるとそれでも不十分であり、他に多くの政府資料や私的記録が失われたか未公開になっているという。例えば、麻生徹男医師の日記などが防衛省歴史資料館に保存されているが、プライバシー保護の理由で公開されていない。
慰安婦に関して、日本では未だにホットに議論されている。例えば慰安婦の数についても大きな開きがある。この件について朝鮮史の専門家でAWFの歴史委員でもある高崎宗司氏は、日本の工場へ働きに出された朝鮮人女子挺身隊員と慰安婦の区別を明確にすべきであると強調している。彼が指摘したように、多くの韓国(朝鮮)活動家がこれらを混同して、慰安婦の数を過大に見積もっている。
この件のより大きな問題は、残虐性と政府の関与がどの程度であったかということである。一部から、元慰安婦の方の証言の信ぴょう性と公衆の前での証言の動機に関する疑問が呈されている。例えば秦郁彦氏は多くの著述などで知られているが、彼は慰安婦制度は売春であり他の多くの国に見られるものと同一であるとしている。一方で、彼は他の学者から慰安婦の悲惨さを軽く見すぎていると批判されている。
4章にもこの件が少し書かれています。改めて取り上げる必要を感じた時には、それも紹介する予定です。
補足:
1)戦時国際法は、戦争を外交の範囲に含める西欧の考え方(クラウゼビッツら)に由来し、そしてジュネーブ条約やハーグ陸戦協定という条約の形で具現化している。その場合でも戦勝国側が敗戦国側を一方的に裁くには無理がある。国際法に一定の権威を与える権力が未だに不在だからである。これは、インドのパール判事の言い分であると理解している。また、「東京裁判」を国際法によって戦争犯罪を裁く裁判であると考えても、「人道に関する罪」は事後法であり、その判決に法的根拠はない。しかし、日本はサンフランシスコ講和条約で東京裁判を受け入れている。従って、東京裁判も先の戦争に含まれると考えるのが、正しい考えだと思う。ただし、この場合その時インドとは戦争状態には無かったことになる。
2)At least tens of thousands of disarmed Chinese soldiers wereexecuted by Japanese troops a the order of their commanders. As a result, inthe mid-1980’s, a representative of the veteran group “Kaikosha” offered anapology to the Chinese people on its behalf. (p30; 第2章文献43参照)
3)千田夏光著「従軍慰安婦」双葉社1973&三一書房1978
金一勉著「天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦」三一書房1976