中日新聞文化欄(8/18/朝刊15面)の曖昧語が映す社会(戦後70年)の3つ目、“裏切りに怒りを表す時”という記事が掲載されている。上野千鶴子さんの名古屋市内での演説を野村由美子という人がレポートしたもので、安保法案反対のキャンペーン記事である。
 
上野さんはマイクを握って「このまま安保法案を通したら、国会丸ごと違憲です」と発言したとのこと。そして、中心的主張は、「民主主義で必要なのは主権者の「信頼」を獲得することではなく、「納得」を獲得することだ」と記している。
 
とても論理的な文章とは思えないので、批判するに値しないと思う(注釈1)が、簡単にその非論理性を示す。国会丸ごと違憲なんて、何のことか解らない。要するに、安保法案は違憲だと言っているのだろう。しかし、違憲かどうかの判断ができるのは唯一裁判所であり、上野さんではない。もちろん、憲法学者でもない。
 
“民主主義で必要なのは主権者の「信頼」を獲得することではない”の、主語が書かれていないが、おそらく、“民主主義が正常に機能する為には、政治家が”の部分を、“民主主義で必要なのは”と誤訳したのだろう。そう解釈して、進むと、上野さんの主張は、“民主主義が正常に機能する為には、政治家が主権者を納得させた上で政治を行なうことである”ということになるのだろう。
 
つまり、シリーズのタイトルである、“曖昧語が映す社会(戦後70年)”に照らせば、信頼という言葉が曖昧語だということだろう。
 
ところで、民主主義で大切なのは“政治家が主権者を納得させる”ことだろうか?私はそうは思わない。政治家は政治のプロでなくてはならない。政治のプロにとって、複雑なこの社会の運動とそのメカニズムを知り、主権者である国民がより幸福になる様に、政治を行なうのが仕事である。そして、主権者にその政策を納得させるには、先ず前提として、この複雑な社会の運動とそのメカニズムを説明して納得してもらう必要がある。しかし、それは一般に非常に困難というか、事実上無理である。
 
自分達プロが必死になっても十分には出来ないことを、有権者にしてもらうのが前提であると主張するのは、民主主義を破壊する目論見が背後にあるとしか思えない。例えば、戦後、コミンテルンの支持で動いていたと思われる政党の残党などである。

間接民主主義とは、このプロとしての政治家に信頼できる人を主権者が選挙で選び、その人の行なう政治を信頼しようという考え方である。つまり、民主主義政治で政治家に要求されるのは(つまり上野さんのことばでは“民主主義で必要なのは”)、主権者の信頼を獲得することである。
 
それを否定してはダメでしょう。
以上、”曖昧語を利用した反政府キャンペーンに気をつけよう”という報告でした。

注釈:
1)筆記者が悪いのか、上野さんの発言が悪いのかわからないが、一応上野さんの発言が正しく筆記されているとの前提で以下書く。