安倍総理による戦後70年談話は、いろんな角度から批判されている。今回、村山談話や小泉談話で述べられることがなかった、戦争に至る経緯についての言及が初めてあった。その部分の内容については、我々の知識のレベルでは正しいと簡単に判断しても、歴史に詳しい人には気になる点が多い様だ。 

例えば、ブログ:http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/では、上記安倍談話の中の、「満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした”新しい国際秩序への挑戦者”となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。」という部分も、本当は正しくなく、日本は新しい国際秩序への挑戦者となった訳ではないと書かれている。それを読めば相当の説得力は確かにある。 

ただ、70年談話の原案を書いた人も文系一種採用の官僚なら、近代史に一定の知識を持っているだろう。そして、上記ブログ氏の書かれた考え方も、恐らく承知していただろうと思う。しかし、政治的文書として書くべき安倍70年談話の内容は、歴史的文書とはあるべき姿が異なるということだろう。政治はあくまでも現実主義に徹しなければならない。そして、真実よりも何よりも、現在と今後の日本国(民)の名誉を含めた利益を優先するべきだと思う。 

解り易い例では、米国の広島と長崎に原爆を投下した行為は、ナチスのホロコーストと殆ど同じである。しかし、その”真実”を日本国が主張した場合、日本国民の不幸は目に見えている。また、北野幸伯氏が書いた「クレムリン・メソッド(集英社インターナショナル;2014/12)」にある様に、ルーズベルトは日本からの奇襲を望みそのように日本を誘導したことなども、裏の(真実を記す)歴史書では常識であると書かれている。しかし、その本は同時に”戦勝国が作った正史”に対して挑戦的態度をとることは、大きな危険を伴うと全編を通じて書いている。  

安倍総理が成立を期待している安保法案も、学問的見地からは憲法違反という判断が出るだろう。そして、自衛隊そのものも憲法9条第二項に照らして合法だと憲法13条を持出して主張しても学問的には無理である。しかし、国際的に捏造された”真実”の体系と、学問的に正しく解釈した場合の憲法が、最終的には日本国の将来を奪うと思われるのなら、我々日本人は真実や学問を裏切る権利を持つ。つまり、現実主義をとるべきである。それが十分解っていないのが、所謂左派と言われる村山元総理などの方々と桜井よしこさんらのグループの”右派”の方々、それに学問と真実に忠実な方々(憲法審査会参考人)、つまり理想主義者達である。(8/16/10:00;編集、17:20) 

追加: 
現実主義に世界が徹すれば、つまり、多くの国が現実主義を採らざるを得ないことになれば、その結果人類が迷走し絶滅の危機に直面するかもしれない。その責任は覇権国家にある。(8/16/10:30、同上)