人間はある問題(情報)を受け取れば、それを頭脳で処理(つまり思考)して、それに対する行動を起こす。その行動の“大きさや激しさ”は、通常問題が大きい程大きい。しかしあまり大きな問題になると、正しく問題を受け止めたり、それに関して思考できなくなる。正しい応答が可能な問題(情報)の大きさの範囲を、信号検出器の用語を用いて、思考のダイナミックレンジということにする。
 
 例えば、ダイナミックレンジの小さい人間は、一寸大きい問題を前にすると、泣き出してしまうとか狼狽えるとかして、その状況に対処できない。従って、問題を思考する能力において、解析能力等の他に、大きなダイナミックレンジを持つことが、最善の回答或いは選択を得る上に大切である。そして、大きな問題を考えねばならない政治家こそ、そのような能力が要求される。 
 
 ある事に対するダイナミックレンジの大きな思考は、当然その周辺の広い範囲での緻密な思考を伴う。広い範囲の思考は、想像力の大きさと高い知的能力を必要とする。また、ダイナミックレンジの大きな思考は、例えば政治の場合、悲惨な状況下においても冷静さを保ち、安易な解決に逃げるという誘惑を退ける勇気も条件となる。従って単に”鈍感力”があることと思考のダイナミックレンジが大きいことは異なる。 
 
 最近の例では、米国Sony Pictures Entertainment社の映画に対する、北朝鮮の米国に対する脅しやサイバーテロの件が参考になる。この映画に関して、既に書いた様に表現の自由を主張するのには無理があると思うが、仮に主張出来ると仮定して話を進める。
 
 表現や学問の自由を主張する理由は、真理は広い範囲の中の何処にあるか判らない場合が多いので、人の活動(行動)の範囲に枠をはめてはいけないということである。今回の場合、「人命は地球より重い」という理由で、テロ予告に屈服すれば、将来に亘って同じ方法で脅しが行なわれ、結局人間活動において正当な自由が奪われ、大きな損害を被ることになる。
 
 そして、テロで失われるかも知れない人命とテロに屈した場合の予想される損害のどちらが大きいか、その損害の大小を思考によって決定しなければならない。両方とも大きすぎて、思考のダイナミックレンジを越えてしまうのでは、大統領失格ということになる。オバマ大統領は、北朝鮮の脅しに屈した場合の予想される損害の方が大きいと答えを出したのである(注1)。
 
 このオバマ大統領の判断と比較すべきは、日本で1970年に起こったよど号事件の時の福田元総理(父の方)の判断である。福田さん(父親の方)は、テロに屈服した。そしてその後の北朝鮮の日本に対する行動や国際世論の反応を考えれば、福田さんは総理の器では無かったと言わざるを得ない。
 
 また、捕われていた赤軍のメンバーを開放した理由が、「人命は地球より重い」だった。つまり、問題が福田元首相の思考のダイナミックレンジを越えて、頭脳が発振してしまったのである。「人命は地球より重い」という表現がそれを証明している。もし、特別狙撃隊を用意して用いていたなら、数人の乗客の生命が失われたかもしれない。しかし、その後北朝鮮に拉致されることになった多くの人々の自由や命の喪失は無かっただろう。この福田元総理の“決断”とその後の多数の日本人拉致事件は、日本国が国家としての威厳を保持していないことを内外に印象つけた。
 
 ただ、その福田元総理の判断を国民は激しく非難しただろうか?非難した人は少数であり、世界の侮蔑の声とは裏腹に日本では大きな動きもなく過去のファイルの中だけに残った。つまり、福田元総理は日本人の思考のダイナミックレンジを承知の上で、自分の総理の席と日本の国家としての損失とを測定して、総理の椅子の暖かさを選択したエゴイストだっただけかもしれない。つまり、日本国民の思考のダイナミックレンジの小ささが、あの様な政治家を選ぶ原因なのである。
 
 思考のダイナミックレンジは、その国の歴史や文化によって大きく異なる。人と人のネットワークの中に埋没する様に行動してきた国民は、生まれてからの行動のレンジが狭く、思考の幅も狭くなる。そして、思考のダイナミックレンジは当然低くなるのではないだろうか。逆に、人生の幅が広ければ、それによって生じる感情の幅、思考のダイナミックレンジ全てが大きくなると思う。
 
 日本には、人と人の関係が固定される様に、古来独特の道徳規準「和をもって貴しとなす」がある。また、日光東照宮にある左甚五郎の彫刻「見ざる言わざる聞かざる」が示す様に、日本人は他人に対して自分の意見を述べるかどうかさえ、思考の範囲に置かない様に教育されている。人命どころか、人間関係破壊の危険性さえ避けるように、思考範囲の外に置くのが日本の文化である(注2)。
 
 最近、「嫌われる勇気」と言う本が売れているとのことである。嫌うか嫌わないかは、相手の問題であり自分の問題ではない。何と言う小さな発想しかもたない国民たちだろうか。 
 
注釈: 
1)相手が中国であったなら、オバマ大統領は別の対応をとったと思う。もちろん中国が相手なら、SPEはそんな映画は作らないと思う。この映画には、何か別の動機があったように思う。
2)“見ざる言わざる聞かざる”は、身分が上の人の悪しき行為を見たり批判したりしないということであり、儒教の考え方“避諱”だと思う。「避諱」は、孔子が「春秋」を編纂したとき、原則にしたということである。