安倍氏が、「前回総理であった時に靖国参拝出来なかったのは、痛恨の極みであった」と言って、今期総理就任後すぐ靖国に参拝した。靖国参拝は総理にとって非常に大事なことの様だが、我々一般人とは少し感覚が異なるように思う。靖国神社とは何か?何故、総理があれほど参拝を重要視するのか? 敗戦の日に考えてみた。(1)
江戸時代には、武力を持つのは武士階級にかぎられていた。そして、武士階級は行政権や司法権、そして、高い地位と名誉とを、武力と不可分な形で持っていた。江戸日本は、軍事独裁国家の様に見えたが、当時の人には日本国民という感覚は殆ど無かった筈である。明治になって西欧式の所謂 “国民国家” が日本に導入されたのと同時に、民衆には日本国民としての義務:納税と兵役の義務が課せられるようになった。(2)
明治以降は、薩長土肥を中心とする官軍の出身者達が政府要人を占め、士官学校でのエリート武官、帝国大学創設後はそこの出身者がエリート国家公務員となり国家を率いた。ただ、徴兵制度で集められた兵士は、単に消耗品的に扱われるだけでは士気が上がらない。そこで考えられたのが、国家統合のシンボルとしての国家神道の利用ではないだろうか。新しく上層階級となった軍や国家のエリート達による、一般の兵士も死ねば靖国に神として祀られるという“約束?”により、兵士たちはより強力な銃弾や魚雷に変身させられたのである。(3)
その日本帝国という東アジア初の国民国家は、当然、隣の王国よりも軍事力に優れている。何故なら、国民国家は戦争をするために作られた様なものだからである。(4)そして、韓国併合、満州国建国などで成功したように見えたが、国民国家の先輩である米国や英国などの国に敵う訳は無く、最終的には悲劇的な結果に終わった。
ここで、安倍総理が昨年12月に参拝されたときの、談話の最初の文章を引用する。「本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました。」更に、「今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります。」と続く。
しかし、今日の中日新聞社説にあるように、戦争時の兵士の過半数は戦闘で死んだのではなく餓死したことを、具体的には、餓島と呼ばれたガダルカナル島、白骨街道と呼ばれたインパール作戦などで、食料補給等のないまま兵士は戦地へ送られ餓死したことを一般人は知るべきある。その多数の兵士の霊やその遺族が上記総理の言葉を聞けたとしたら、どう思うだろうか。「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊」とは誰のことかと思う筈である。
私は、この靖国神社の兵士の調達と士気を維持する装置としての本質を考えると、今のままのあり方には賛成できない。神道は自然の神を崇拝するという本来のあり方を取り戻すべきである(5)。そして、別に戦争で無くなられた多くの兵士達の国立墓地を新たに創り、そこに戦争の犠牲者を葬るべきであると考える。そこに総理大臣は毎年参り、家族にとって掛替えの無い命を軽視したあの戦争を詫び、冥福を祈るべく参るべきである。補給の無い戦地に無計画に送った兵士の霊にたいして、「御英霊に尊崇の念を表わし」のような台詞を用いないで、ただひたすら先輩政治家たちの愚かさを詫びるべきである。
注釈:
1)素人ですので、反対意見などを歓迎します。誤りや理解不足があるかもしれません。予めお断りしておきます。
2)江戸時代の感覚は、お上と下々の関係であって、外国人は今では宇宙人のような存在だったと思う。明治維新は外国との対抗を意識した革命であり、初めて日本国民と日本国家という“国民国家”の形が作られた。具体的には、西欧を真似て法的な統合のために憲法が作られる。そこに兵役の義務が当然のこととして記されている。そして、兵士の役割を重要視して、国家神道がつくられた。ただ、民族の迫害や大移動を経験したことの無い日本国民は、国家意識が極めて低く、今でも国民国家と言うより儒教的なお上と下々の関係がつづいていると思う。
3)等しく日本国民であるという意識は武士がいなくなり明治憲法が出来たからといっても、農工商階級には急には持てないだろう。従って当時の日本人には家族を守る心はあったとしても、愛国心という感覚に薄かったのではないだろうか。精神的な柱として、天皇と天皇家を祀る神道から派生させた国家神道を置いたが、いまでも日本人の精神には最も古い形の神道、自然崇拝、しかないと思う。今も昔も、日の出の太陽に手を合わす心はあっても、天皇陛下万歳という気持ちは本音としてはなかったのではないだろうか。
4)岡田英弘著、「歴史とはなにか」p174
5)神道のご神体は山などの自然の偉大な造形である。(岡谷公二著、神社の起源と古代朝鮮)ところが、神道は8世紀初頭に天皇家の神道(天皇の権威を正当化する神道)に大きく変化する。更に、時代が下るに従って、将軍や有名な武将までを祀るようになり、神道は本来のあり方から外れて政治的道具として利用されたのである。しかし、一般兵士を神として祀ることは嘗ての変質した神道にも無かったし、本当は今も全く根付いていないのではないか。