今日の5チャンネル(TBS系)の番組で、依然としてSTAP捏造疑惑を報道していた。この件は現在混乱を極め、理研の調査委員の論文調査にまで話が及んでいる。理研もマスコミと政府の両方をにらみながら、戸惑っている様子である。研究者たちは、お笑いの領域に入った事件を薮睨みしている感じだろう。
 
 前にもブログで書いたことであるが、一般に、科学論文は学会が評価することであり、所属機関が審査することではない。そして、信用のない論文は評価されないために総説にも引用されず、いずれ研究者の記憶から消えるだけである。
 小保方氏から共同研究者の若山氏に渡された細胞の遺伝子が、本来のものでないことを若山氏が知ったことをきっかけに、この疑惑が大きくなった。その研究結果が(つまり小保方氏が)信じられない為、論文を取り下げるよう若山氏が主張した段階で、STAP論文の価値はなくなっている。写真の切り貼りなどは、論文の信用を低下させることにはなるが、決定的ではない。決定的なのは、共著者が論文取り下げを主張していることと、その理由となった実験試料の受け渡しの段階で、細胞の遺伝子が変わっていたことである。
 
 STAP細胞があるかないかは、理研の調査が明らかにすることではなく、次に誰かチャレンジしてその作成に成功して論文を書くまで、Nature論文が投稿される前の段階にとどまる。ただ、Nature論文が取り下げられない限り、それにエネルギーを注ぐ研究者は他のグループには出ないだろう。そして、今のような情況で論文を取り下げなければ、その研究に拘った人の科学界における信用は無くなるだろう。(注1)信用のない研究者を抱えることは、研究資金の無駄使いなので、公金で運営されている研究所に研究者としてとどめる意味はない。
 つまり、科学は研究者間の信用によって発展してきたのであり、法的責任などという言葉とともに取り上げられる問題とは、遠い世界に存在するのである。(注2)雇用するかはどうかは、対象者の実力を担当者が”主観的に”評価すれば良い(注3)
 
 マスコミは面白半分で、取り上げるべきではないし、取り上げて放送することは何も無いはずである。
 
注釈:
1)笹井氏が論文を出版することが成果100%とすると、論文を取り下げることは、成果ゼロになるのではなく、-300%になることであると言った。しかし、疑惑が深まった段階で取り下げに同意しないことは、それまでに蓄積した科学研究者としての信用が全て無くなることになるのである。
2)特許は研究論文として公知になった段階で申請できないので、ここでは問題外である。
3)研究者の能力は、入試のように点数で出る訳ではない。