1)法律を理解していない国家公安委員長:
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13108296013
に引用されている国家公安委員長の発言は、日本国は法治国家でないことを高い地位にいる法の番人が表明したものと解釈される。その発言であるが、「人通りの少ない制限時速50 km/hのところでは、交通の流れによっては車の速度が70km/hになることもある。それを一々取り締まるのは如何なものか」という趣旨のものである。法律で50 km/hと制限速度が決まっておれば、60 km/hで走っている車を見つけたら、人通りの有無に関係なく違反チケットを切るのが法治国家の原則である。もし、70 km/hで走っても良いと判断される時間帯があれば、そのように道路に表示板を掲げれば良いだけである。
 このような発言が国家公安委員長から出ることは、公安のトップが法治国家という概念を理解していないことを示している。それは恐らく、日本国が徳治主義と法治主義が縞模様のように混ざりあった国家であるからではないだろうか。その証拠の一つは、質問者が「法治国家にあるまじき国家公安委員長の発言」と書いているのに、公安委員長の発言を支持するような意見が半分あることである。つまり、日本文化は、法治国家と矛盾する部分をその深層においてもっているのである。なお、上記投稿欄で引用されている報道記事は消えている。重要な記事であるが、報道機関も統治側に媚びて削除したのだろう。
2)本田選手の「個の問題」発言
W杯予選のオーストラリア戦で引き分けた後の本田選手の発言は、日本中が喜びで満ちているような雰囲気の中で出された。「最後は個が試合を決める場合が殆ど」(例えば:
http://www.nikkansports.com/soccer/japan/news/p-sc-tp2-20130606-1138489.html
という、各選手に檄を飛ばす発言である。その数日後のコンフェデレーションカップ杯のフラジル戦開始数分後、ブラジルの選手によるミドルシュートがゴールの角に吸い込まれた瞬間、素人の私も本田選手のことばの意味が理解された。殊更にチームワークが試合を決めるような発言が多い日本のスポーツ解説で、本田選手のあの発言が生き残り得たのは、彼が日本のトップ選手であるという認識がサッカー界にあるためである。
 しかし、トップしかそのような発言が出来ないというのは何と言う風通しの悪い国だろうか?未だに儒教が日本文化の大きな部分を占める我が国では、「儒(小人、つまり一般大衆)は発言を控える」という暗黙の了解が、大衆に重石のように掛かっている。つまり、特別な場合にだけ「僭越ながら」と前置きをして話を始めるのである。徳の高い方が国を治めておられるのなら、大衆は大声を出すのを控える方が国は円滑に運営される筈である。それはもはや、どこの国においても望むべきものではないだろう。時代は大衆が声を上げなければ国家が腐敗する“近代民主主義時代”に入っているのである。