B)東アジアの安定には、将来の東アジアについての諸国の共通の目標設定と、過去の歴史に関する共通の理解が不可欠である。
 さて、靖国参拝問題で、日中及び日韓の外交がぎくしゃくしている。安倍総理は、「国のために命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前だ」と述べている。野党からの批判に対しても「(海外からの)批判に、おかしいと思わないほうがおかしい」と独善的な態度である。麻生副総理も同じような意見である。つまり、自分の言葉(或は前稿での、目標地点に到達する為の自分独自の地図)を全ての人に強要するような態度をとっている。東京裁判について「連合国側の勝者の判断によって断罪がなされたものであり、日本が受け入れた認識ではない」と言ってみても、日本に大戦の(公的な)総括が無い以上、その反論は通用しない。1) 日本国民のなかにも、戦争責任者が合祀された靖国への政府首脳の参拝に疑問を呈する人がおおい。中国や韓国の非難に対して、正当な反論を展開するには、我が国における第二次大戦の総括という作業が先ず必要である。また、“国の為に命を落とした英霊”というが、軍の士官学校出身の将校達なら「靖国であおう」という意識があったかもしれないが、国が戦地に無理矢理連れて行って戦死させた兵士に「靖国で英霊となる」という意識があっただろうか?あの議員達は、千鳥ケ淵にもおなじように出かけているのだろうか?そこに葬られている人たちは英霊でもなんでもないというのだろうか?という様な疑問に対して、どういう答えを用意しているのだろうか?「国の為、子孫の為に死ぬのだ」と思わなければ、徴兵されて戦地に赴くことは難しかっただけではないのか。もし、英霊として存在するとしても、決して東アジアの混乱を望んではいないだろうと思うのである。つまり、命を犠牲にしたのは、子孫である現在の日本国民の安寧を願ってのことと思うのが自然である。徒に火種の絶えない東アジアに無用の風を送り込む、現在の無能な自民党議員達の慰霊を喜んでいる筈がないだろう。
 より建設的な方向に議論を進めるとして、東アジアの安定の方向をどのように見いだすか?であるが、それには、1)「どのような東アジアが望ましいか」についての共通の目的を持つことが何よりも大切である。私は、この目標設定が中国、韓国、日本で最初から違うことがここ数日の喧噪の原因かもしれないと思う。そうなら、その点を明らかにして、国際的に我が国の目標とする東アジアとそれを達成する道筋を示し、隣国の同意を得る努力をすべきであると思う。もし、同意が容易に得られなくても、日本の立場を明確に主張できる。
次に、もし共通の目的が確立できたのなら、2)共通の言葉や議論の舞台を作り上げることが大切で、その一つが「該当諸国の第二次大戦に関する夫々の歴史認識を明らかにすること」である。その後、3)互いにその「歴史認識について議論し、認識の一致点と相違点を明らかにすべき」である。2) そして、最終的な合意可能な東アジアに対する共通目標を設定すべきである。このような道筋で、話をすれば細く険しい道であっても目的地に到達できる部分があると思う。目的地が見つからない場合には、棚上げも差し当たりの知恵であると考える。

注釈:
1)もし、防衛戦争であったという見解をとるのなら、日本国を一方的に攻めた敵国である米国と、その後友好関係を築く上で、国民の同意を完全に得る努力をしたのか?という疑問がわく。安保反対のデモを力で押さえつけただけではないのか。
2)韓国併合が単なる植民地支配だとは私には思えない。搾取の対象となる植民地なら、帝国大学も不要であるし、韓国の方を士官学校に入学させることなどあり得ない。また、インフラ投資も搾取の目的に絞って行うことになる。