ポジショントークとは、自分の立場を良くするためになされた一件論理的な発言のことをいう「和製英語」である。株式市場などで、ある証券会社がある会社の株を多量に買い入れ、暫時保持しているとき、その会社についての評価・格付けを、客観データと一見論理的に思える解析に基づいて、高く発表するような場合である。これは当然の誘惑であり、法律に触れないとされるレベルで日常茶飯事である。
しかし、このような“見え見え”の行為により、実際に利益が得られるのは、“言葉を信じること”は、会話が成立する基本的要件だからである。つまり、我々人間は言葉を学ぶ(覚える)時に、相手の発したことばを信じることを同時に学ぶのである。「人は言葉を話す存在」であるとすれば、嘘を何のためらいもなく言うことは、自分は人でないことを容認することになる。
最近、TPP(環太平洋パートナーシップ)の議論の際、しばしばこのポジショントークが現れる(と思う)。例えば、農村の票をあてにする議員やその近くの関係者が、「本当に問題なのは、農産物に関する関税撤廃よりも、ISD条項なのだ。」というような発言がそれである。ISD(Investor state dispute settlement)条項は、不公正な待遇により不利益を被った企業があった場合、その株主が国際的な仲裁裁判所に提訴し、その決定に基づいて損害賠償を対象国から受ける事が出来るという条文である。彼らは、ISD条項により、我が国が国家としての独自性を維持できなくなるというのである。ある評論家は、「従って、TPPはグローバル企業が儲かるようにできていて、それ以外の企業には何の益もない。そして、国家の意味がじょじょに薄くなって行く。」とテレビで発言している。
しかし、私はこれもポジショントークだと思う。TPPであれNAFTAであれ、自由貿易により、それぞれが得意の分野を担当して、全体として豊かな経済圏を築こうというものである。従って、得意でないものには非関税障壁を設けて、国内産業を保護しようという考えに固執する人は、ISD条項があるからTPPは恐ろしいなどとは言わず、「自由貿易には反対である」と言えば良いのである。「それはとんでもない時代遅れの考え方だ」と反論されて、返す言葉が無いから、ISD条項を持ち出して煙に巻こうとするのである。ISD条項は、当事国が「そんなつもりではなかった」という非関税障壁をあぶり出す装置であるから、至極当然のものと考える。
もちろん、あらゆる変化には喜ぶものと痛みに苦しむものが出てくる。そこへの手当が加盟諸国の政府の仕事である。 また、我が国の特殊な事情、つまり、戦後65年を経ても未だに独立国家としての体をなしていないことを考えた場合、我が国がまともな体制を築くまでの今後20年ほどの間、この東アジアで自由主義国家としての体制を維持出来る位置は、米国を中心とした環太平洋諸国の中にしかないと思う。TPPは文字通りパートナーシップであり、貿易だけの問題ではなく重要な外交問題でもあると考える。
ーーー素人ですが、以上のように考えます。ーーーー
しかし、このような“見え見え”の行為により、実際に利益が得られるのは、“言葉を信じること”は、会話が成立する基本的要件だからである。つまり、我々人間は言葉を学ぶ(覚える)時に、相手の発したことばを信じることを同時に学ぶのである。「人は言葉を話す存在」であるとすれば、嘘を何のためらいもなく言うことは、自分は人でないことを容認することになる。
最近、TPP(環太平洋パートナーシップ)の議論の際、しばしばこのポジショントークが現れる(と思う)。例えば、農村の票をあてにする議員やその近くの関係者が、「本当に問題なのは、農産物に関する関税撤廃よりも、ISD条項なのだ。」というような発言がそれである。ISD(Investor state dispute settlement)条項は、不公正な待遇により不利益を被った企業があった場合、その株主が国際的な仲裁裁判所に提訴し、その決定に基づいて損害賠償を対象国から受ける事が出来るという条文である。彼らは、ISD条項により、我が国が国家としての独自性を維持できなくなるというのである。ある評論家は、「従って、TPPはグローバル企業が儲かるようにできていて、それ以外の企業には何の益もない。そして、国家の意味がじょじょに薄くなって行く。」とテレビで発言している。
しかし、私はこれもポジショントークだと思う。TPPであれNAFTAであれ、自由貿易により、それぞれが得意の分野を担当して、全体として豊かな経済圏を築こうというものである。従って、得意でないものには非関税障壁を設けて、国内産業を保護しようという考えに固執する人は、ISD条項があるからTPPは恐ろしいなどとは言わず、「自由貿易には反対である」と言えば良いのである。「それはとんでもない時代遅れの考え方だ」と反論されて、返す言葉が無いから、ISD条項を持ち出して煙に巻こうとするのである。ISD条項は、当事国が「そんなつもりではなかった」という非関税障壁をあぶり出す装置であるから、至極当然のものと考える。
もちろん、あらゆる変化には喜ぶものと痛みに苦しむものが出てくる。そこへの手当が加盟諸国の政府の仕事である。 また、我が国の特殊な事情、つまり、戦後65年を経ても未だに独立国家としての体をなしていないことを考えた場合、我が国がまともな体制を築くまでの今後20年ほどの間、この東アジアで自由主義国家としての体制を維持出来る位置は、米国を中心とした環太平洋諸国の中にしかないと思う。TPPは文字通りパートナーシップであり、貿易だけの問題ではなく重要な外交問題でもあると考える。
ーーー素人ですが、以上のように考えます。ーーーー