日本では、特に体育の日に表題のことわざをよく聞く。私はいつ頃からかこの諺に疑問を持つ様になり、オリジナルを探した。ローマの詩人による言葉がオリジナルのようであるが、そこでは表題の諺は誤用であると書かれている。(http://ja.wikipedia.org/wiki/ユウェナリス)ただ、この古代ローマの詩と表題の誌はあまりにも遠くはなれているので、もう少し近いものは無いかと検索をしていると、英語圏に非常に良く似た諺があることを発見した。それは:A sound soul resides within a sound body and a sound mind.である。residesはdwellsに置き換わることがあるが、それぞれ、「存在する」と「住む」位の意味であり、この場合意味に違いはほとんどない。つまり、「霊魂(soulつまり死後も存続する非物質的実体)が、健全なる体(body)と心(mind;この世のものである)に宿る」が本来の諺である。上記Wikipediaの中に、表題の諺は戦時中ナチス・ドイツを始めとする各国政府によりスローガンとして改竄して用いられ、軍国主義を推し進めたと書かれている。それが未だに誤った意味のままで広まることとなったのである。
表題の諺は日常会話でも「しっかり行動するには強い精神が必要である」という意味に用いられ、話す側にも聞く側にもあの世にまで及ぶ霊魂など全く意識にない。注1 従って、英語のことわざが由来であるのなら、日本語の「健全なる精神は健全なる肉体にやどる」は誤訳である。若干繰り返しになるが、元のことわざは、「人がその本質(霊魂)において、この世でそしてあの世でも健全な状態で存在するためには、この世で健全なるからだと健全なる心を持ち続けなければならない」ということを意味している。
注1) この「精神」という単語は、例えば英辞郎on the webで検索すると、mindやspritと訳され、soulとは訳されないのである。
表題の諺は日常会話でも「しっかり行動するには強い精神が必要である」という意味に用いられ、話す側にも聞く側にもあの世にまで及ぶ霊魂など全く意識にない。注1 従って、英語のことわざが由来であるのなら、日本語の「健全なる精神は健全なる肉体にやどる」は誤訳である。若干繰り返しになるが、元のことわざは、「人がその本質(霊魂)において、この世でそしてあの世でも健全な状態で存在するためには、この世で健全なるからだと健全なる心を持ち続けなければならない」ということを意味している。
注1) この「精神」という単語は、例えば英辞郎on the webで検索すると、mindやspritと訳され、soulとは訳されないのである。