今朝のニュースステーションでは、桜宮高校での体罰事件から、小学校からの英語教育、更に学校の教育行政まで広範な議論がなされていた。その最後の部分で、出席者の一人である大学の先生から、今一番改革を要するのは大学であるという意見もあった。つまり、大学が終着駅と見なされているから、その終着駅がいい加減だから、高校以下の教育が上手く行かないのだという考えである。大学で教育を受けた人が社会に出て、その一部が小中学校から大学の教員になる。大学でいい加減な教育を受けた人間が小中学校の教員になるのだから、そこでの教育レベルは低下するのは当たり前。つまり、日本国は知的デフレスパイラルになっているのである。大学を改革出来れば、そのデフレがインフレに転換できるかもしれないという意見だと思う。日本の経済対策として聞いた話に似ている。
更に、日本の小中学校長には人事権や予算執行権がないので、組織のトップとして何もすることが出来ない。その原因は米国が戦後作った教育行政の枠組みがそのままにされているからであるとの話。あれもこれも全て、戦後の枠組みから脱却しないで米国依存を決めこみ何もしなかった自民党政治と、その中で育まれた霞ヶ関官僚たちの独裁体制の相互依存制に問題の根幹があるようだ。
この知的デフレスパイラルも経済的デフレスパイラルも、今まで何もしなかった自民党が生まれ換わって改革できるというのだろうか?
このような議論を展開すると最後は、日本の文化にまで話が及んでしまう。(注1)
元に戻って、日本の知的デフレスパイラルの原因としての大学の能力低下(注2)であるが、その原因は大学の人事にある。大学教員の実質的な人事権を教授会が持つことがこの知的デフレの出発点である。より具体的には、その人事制度により、助教(昔の助手)が出身講座の大学院修了者から選ばれることになり、その大学助手が最終的にどこかの準教授や教授になり、大学のレベルを決めることになるのである。一旦レベルが低下し始めると、際限なく低下する。そのプロセスは、英語の諺「一級の人間は一級の人間を選び、二級の人間は三級の人間を選ぶ」(注3)を思い出すと容易に想像できる。問題は、その大学出身者が大学だけでなく日本の全ての分野でのレベルを決める点である。
このデフレスパイラルを改革するには、出発点である助教の人事を、例えば客観的指標を決めるとともに人事プロセスを公開するなどで改革する必要があると思う。
更に、もっと根源的な部分で、大学行政への国の関与の仕方である。私は、大学への助成金を大幅に減額することを提案する。大学への進学費用は、それにより得る利益を受ける側が負担すべきである。それにより、まともな大学のみが生き残り、従って大学はレベルの向上とその為の人事等を必死に考えるだろう。
更に、日本の小中学校長には人事権や予算執行権がないので、組織のトップとして何もすることが出来ない。その原因は米国が戦後作った教育行政の枠組みがそのままにされているからであるとの話。あれもこれも全て、戦後の枠組みから脱却しないで米国依存を決めこみ何もしなかった自民党政治と、その中で育まれた霞ヶ関官僚たちの独裁体制の相互依存制に問題の根幹があるようだ。
この知的デフレスパイラルも経済的デフレスパイラルも、今まで何もしなかった自民党が生まれ換わって改革できるというのだろうか?
このような議論を展開すると最後は、日本の文化にまで話が及んでしまう。(注1)
元に戻って、日本の知的デフレスパイラルの原因としての大学の能力低下(注2)であるが、その原因は大学の人事にある。大学教員の実質的な人事権を教授会が持つことがこの知的デフレの出発点である。より具体的には、その人事制度により、助教(昔の助手)が出身講座の大学院修了者から選ばれることになり、その大学助手が最終的にどこかの準教授や教授になり、大学のレベルを決めることになるのである。一旦レベルが低下し始めると、際限なく低下する。そのプロセスは、英語の諺「一級の人間は一級の人間を選び、二級の人間は三級の人間を選ぶ」(注3)を思い出すと容易に想像できる。問題は、その大学出身者が大学だけでなく日本の全ての分野でのレベルを決める点である。
このデフレスパイラルを改革するには、出発点である助教の人事を、例えば客観的指標を決めるとともに人事プロセスを公開するなどで改革する必要があると思う。
更に、もっと根源的な部分で、大学行政への国の関与の仕方である。私は、大学への助成金を大幅に減額することを提案する。大学への進学費用は、それにより得る利益を受ける側が負担すべきである。それにより、まともな大学のみが生き残り、従って大学はレベルの向上とその為の人事等を必死に考えるだろう。
- http://island.geocities.yahoo.co.jp/gl/mopyesr/view/201211の最初の文章
- 日本はノーベル賞をかなりとっており、大学のレベルが低くないのではないかという意見が出てくるかもしれない。しかし、ノーベル賞の大半は数十年前の業績に与えられているのであり、現在の大学のレベルを繁栄していない。また、東京大と京都大だけが大学ではない。現在の大学のレベルは、世界の大学ランキングが参考になる。
- First rate mathematicians choose first rate people, but second rate mathematicians choose third rate people. ネット検索ではこの言葉しか出てきませんが、NHKビジネス英会話の中では、数学者ではなく単に人:peopleが使われていたと思います。