嫌われ者?1)
兎に角、現在の形での再雇用制度は、不健全且つ非生産的だと考えます。上記提案を現在のシニアスタッフ活用法の“アンチテーゼ”として提出したいと考えます。昔に比べて現在の60歳は遥かに若く能力も衰退していません。この少子化時代に社会全体のエネルギーを保持する唯一の方法は、この60歳を過ぎた世代に力を発揮してもらうことだと考えます。
―平成21年12月7日―(2012/11/15編集)
北野武の「赤信号、皆で渡れば怖くない」は、日本人の行動パターンを端的に言った名言です。一寸アルコールの入った一団が勇ましく赤信号を渡ろうとしたとき、冷静な一人が「車が来たら大変です」と言ったとします。すると、「何だ!あいつは、和を乱しやがって。車が来たら、皆で蹴飛ばせば良いのだ。」ということになります。2) 人は集団で生活する生物ですから、この行動パターンは本質的なものと言ってよいと思われます。古代ギリシャにおいて対話が真理を探し出す方法論として考え出されたことの方が、むしろ、特異かもしれません。「古代ギリシャの時代に、反論を持って現れた対話の相手方が、日本では21世紀でも「嫌われ者」としての地位しか無いのではないか?」というのが、表題の「嫌われ者?」の意味です。
我々団塊の世代が大学生のころ、「安保反対、米帝国主義反対」を叫んでいた人たちは、受験勉強から解放された自由の中で、止揚(Aufheben)なる呪文を唱えていました。その後、研究室セミナで、仲間との議論により初めて真理へ近づくことが可能であるということを体験的に学ぶことになります。そこでは反論を出すことが参加者の義務というか、参加資格であり、演壇に立つものはそれに答えることで、自分の考えを修正し磨くことになります。私も大学の研究室で初めて、議論のルールを学び、それにより明確に口論と議論の差を理解(正確には“体得”)したように思います。学生運動が政治的な力になる為には、「安保賛成」派との議論が必要だったのですが、全学連のうち前衛的各派閥は、異質な意見は内ゲバで排除してしまうという、まるで巨大な水晶のようなもろい集団だったのです。現代の日本も本質は同じように思います。「何かを集団で成し遂げるには、その目的や方法に関して異質な意見に議論の門戸を開くことが大切である。議論により、そのグループの考え方を磨き、方法論などをより具体化させ、その計画の質を高めることが出来るのである」を、小学校時代から教育すべきだと思います。それにより、学校における“虐め”は激減するのではないでしょうか。つまり、苛めは沈黙の中で起こるのです。
さて、XXXは、一昨年よりシニアスタッフという安価で優秀なる研究補助職員を手に入れました。しかし、それを有効に利用しているとは到底言えない状況です。彼らの中には自分のこれまでの研究分野における現役世代の研究に関して、批判的に意見を述べることが出来る人も大勢いるでしょう。それらは、現役研究職員の視野の拡大や能力の補完のために大きな戦力となる筈です。ここで、彼らの有効な活用に関して一案を提供したいと思います。この素案を元に、議論を重ねれば必ず良質の新たな戦力を手にいれることができると思います。現在、外部から講演者を迎えて話を聴くセミナは頻繁に開かれています。それはそれで、研究者にとって全く新しい視点を得る良い機会になる可能性があります。しかし、XXセンター全体規模の内部セミナがほとんど開かれていません。この内部セミナの企画やコメンテーターにシニアスタッフを起用してはどうでしょうか?それが実現すると、研究室単位のセミナでは得られない批評やアイデアが得られると考えます。それをきっかけにして、研究室内での視点で考えられたよりも、現在遂行中の研究が一回り大きく成長する可能性大だと思います。
我々団塊の世代が大学生のころ、「安保反対、米帝国主義反対」を叫んでいた人たちは、受験勉強から解放された自由の中で、止揚(Aufheben)なる呪文を唱えていました。その後、研究室セミナで、仲間との議論により初めて真理へ近づくことが可能であるということを体験的に学ぶことになります。そこでは反論を出すことが参加者の義務というか、参加資格であり、演壇に立つものはそれに答えることで、自分の考えを修正し磨くことになります。私も大学の研究室で初めて、議論のルールを学び、それにより明確に口論と議論の差を理解(正確には“体得”)したように思います。学生運動が政治的な力になる為には、「安保賛成」派との議論が必要だったのですが、全学連のうち前衛的各派閥は、異質な意見は内ゲバで排除してしまうという、まるで巨大な水晶のようなもろい集団だったのです。現代の日本も本質は同じように思います。「何かを集団で成し遂げるには、その目的や方法に関して異質な意見に議論の門戸を開くことが大切である。議論により、そのグループの考え方を磨き、方法論などをより具体化させ、その計画の質を高めることが出来るのである」を、小学校時代から教育すべきだと思います。それにより、学校における“虐め”は激減するのではないでしょうか。つまり、苛めは沈黙の中で起こるのです。
さて、XXXは、一昨年よりシニアスタッフという安価で優秀なる研究補助職員を手に入れました。しかし、それを有効に利用しているとは到底言えない状況です。彼らの中には自分のこれまでの研究分野における現役世代の研究に関して、批判的に意見を述べることが出来る人も大勢いるでしょう。それらは、現役研究職員の視野の拡大や能力の補完のために大きな戦力となる筈です。ここで、彼らの有効な活用に関して一案を提供したいと思います。この素案を元に、議論を重ねれば必ず良質の新たな戦力を手にいれることができると思います。現在、外部から講演者を迎えて話を聴くセミナは頻繁に開かれています。それはそれで、研究者にとって全く新しい視点を得る良い機会になる可能性があります。しかし、XXセンター全体規模の内部セミナがほとんど開かれていません。この内部セミナの企画やコメンテーターにシニアスタッフを起用してはどうでしょうか?それが実現すると、研究室単位のセミナでは得られない批評やアイデアが得られると考えます。それをきっかけにして、研究室内での視点で考えられたよりも、現在遂行中の研究が一回り大きく成長する可能性大だと思います。
兎に角、現在の形での再雇用制度は、不健全且つ非生産的だと考えます。上記提案を現在のシニアスタッフ活用法の“アンチテーゼ”として提出したいと考えます。昔に比べて現在の60歳は遥かに若く能力も衰退していません。この少子化時代に社会全体のエネルギーを保持する唯一の方法は、この60歳を過ぎた世代に力を発揮してもらうことだと考えます。
―平成21年12月7日―(2012/11/15編集)
- 私は、2009年に60歳で研究者を定年退官した。その後、同じ勤務先XXXの再雇用制度で事務的仕事に従事した。上記文章は、その非効率な再雇用制度を批判するために、所内(XXセンター)のミニコミ誌に投稿したものである。編集委員会は、上層部を批判することになると思ったのか、掲載しなかった。当時の直属部長より、その際に事情説明を受けた。
- 戦争中、「精神一到何事か成らざらん」の考えで、本土決戦一億玉砕を唱えた阿南陸相を思い出します。