マルマンというメーカーからリリースされている、ニーモシネというメモパッドを今年の3月から使っている。私が使っているものはズボンのポケットに入るくらいのサイズで、ここに私なりに英語でなにか思ったことや感じたことをメモして、あとで振り返って読むことを日課にしている。書くことは特に制約は設けていないが、制約を設けないと私の場合逆に臆病になってしまって途方もない妄想や夢想を書けないでいる。ただ、慎ましくその日に起こったこと、感じたことを書いているだけなのだった。

 

今日、私は小説を書きたいと思った。というのは、昼ご飯を食べたあとにいつものようにぼんやり夢想に耽っていて、急に苦しくなった。仕事はつつがなく続いており、プライベートも特に問題なく過ぎているのだけれどこれでいいのだろうか、と思って……いや、これでいいのだ、とも思う。なにも問題なく過ぎているのならばわざわざ私が波風を立てる必要などないだろう。しかし、それではつまらないとも思った。そして、私はせめて過ぎていく日々を有意義なものにするために、一日一日小説を書き続け積み重ねてまとめたいと思うようになったのだ。

 

しかし、なにを書くべきだろう。わからない……私は虚構を書けない。太郎と花子が出会った、恋に落ちた、そして……と話を進行させられない。だから私が書けるものは実生活べったりのものとなってしまう。人が読めばそれは単なるエッセイでしかない、と言われるかもしれない。それはその通りなのでぐうの音も出ないのだけれど、しかし私が尊敬する田中小実昌だってエッセイのような小説を書き続けたではないか。ならば私もコミさんこと田中小実昌に倣って、私と私の半径5メートルくらいの世界しか登場しないものを書いたっていいだろう。

 

では、私のことを書くとしてなにを書こう? と考えた時に、私はニーモシネのメモパッドのことを思ったのだった。ここに書きつけていることをそのまま小説として書いたらどうだろう。今日、例えば私は仕事について考えた。仕事とは不思議だ。従業員は言うまでもないがひとりひとり違った仕事観を持ち、人生観を持っている。私のように家庭を持たずにのんべんだらりと生きている人もいれば、偉くなりたいと日々自己研鑽に勤しんでいる人もいる。だが、同じ目的/ゴールを目指してともあれ私とそういった人は共同作業をして、仕事を共にこなすのだった。

 

あるいは、私と英語についても考えてみたいとも思った。私は日本人で日本語を使って生活しているが、ニーモシネのメモパッドには英語で書き続ける。これは別に英語の勉強をしたいとかそんな崇高な理由からではなく、ただ英語で書くとパズルを解いているようで心地よくなるからという理由なのだった。バイリンガル? そんな大袈裟なものでもないのだが、しかし言葉と私の関係についても考えられたらいいかなと思う。

 

今日、なにを得られただろう。今日、なにを失ったか……そんなことを書いていきたい。だからこの小説にはプロットはない。私自身、小説がどこにいくのかわからない。最早「小説」と呼べる体裁さえ失ってしまっているだろう。だが、私にとっては小説なのだ。『失われた時を求めて』や『罪と罰』みたいな途方もない作品も呑み込んでしまえるのが「小説」というジャンルなのだから。私の好きな古井由吉『仮往生伝試文』だって「小説」なのだから……。