本日、週末の気安さとちょっとした思いつきで東武線某駅にて下車。
ウォーキングを兼ねてそこら辺を歩き回りつつ、スナップ撮ってみたり。

なんでまたそんな事したかと言うと、ちょっと確かめてみたい事がありまして。
きっかけは、この本。
柴田 哲孝
下山事件―最後の証言

いまだ戦後の怪事件のひとつに挙げられる『下山事件』
事件のあらましは、こちらのサイトさん⇒  が詳しいので興味のある方はご参照くださいませ。
7月5日に行方不明になった下山総裁が発見されたのが、58年前の今日7月6日でした。

事件の論点のひとつになっているのが、7月5日午後から夜間にかけて東武線五反野駅界隈での下山総裁(らしき人物)の目撃情報です。
ここいら辺がウォーキング圏になっている身には、まだ日の高いうちの情報はともかく、夕方以降の情報はなんかこー「び、びみょー」という感がありました。

当時の日本はGHQの指令でサマータイムの真っ最中。当時の午後6時台は今の午後5時台という理屈ですが、そこを差し引いても、ちょっとすれ違ったり畑の真ん中に突っ立ってるヒトの事そんなにはっきり見えるもの?
じゃあ、実際に何時ごろまで見えるものなのか調べてみよう!
と、突然思い立った次第でして。

とはいえ、当時と今とでは区画整理やら何やらで今とは道路も風景も変わっております。そんな事調べたからといって、どうなるもんでもなかろーに。
相変わらずムダな発想&行動力でした。

ちなみに当時の現場周辺がどんな感じだったかは、国土地理院のHPで昭和22年の航空写真が閲覧可能です。事件より二年前になりますが、おおよその地勢がわかると思います。

まず「国土変遷アーカイブ」こちら⇒ にアクセス。

索引図で 東京⇒草加の順にクリック

昭和22年~で[検索]クリック

地図表示サイズ[2倍]

千住新橋と東京拘置所の間の紫色の点から「USA-M380-137」をクリック


…畑の真ん中に駅があるらしい。時の流れを感じます。


天気はうすぐもり、蒸し暑い中ともかくも最初の撮影ポイント。


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yahoo地図でみると、ここいら辺⇒

ドラッグストアの看板が入ってしまったので、一部モザイクかけましたが露光などはいじってません。これが18:58。サマータイムなら20時前。
まだまだ明るいですね。


この高架をくぐって右折すると現場に向かう形になります。
線路に沿って小菅方向へ。現在は親水緑道として整備されています。

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yahoo地図でみると、ここいら辺⇒
このへんで19:00ごろ。

この先が事件現場の立体交差になります。

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この先はちょっとムリです。もっと明るい時間に行かないと…(泣


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上の写真のガード下ですが、ここが目撃証言のひとつがあったとされる場所です。
今はこんなに見通しがいいですけど、その頃は高架ではなく土手だったのでトンネルになっていたとのこと。サマータイムの午後6時台なら、それほど暗くはなかった?
ここで撮影したのは19:04。



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なるべく灯りのなさそうなあたりを向いて一枚。

この三枚はこのへん⇒ で撮影しました。


ここから五反野駅方面に戻りました。
この後、日没になったのか急速に暗くなって行きます。
で、19:34の五反野駅前交差点⇒ がこの写真。

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真っ暗です。

国土地理院HPの写真を見る限り、今より灯りはずーーーーっと少ないと思われます。

その日、その時、一体何があったのか?

謎は尽きない夏の夜でした。