裁判員っていつ自分が選ばれるか分からなくて漠然と不安な感じがします。
だから裁判員裁判て気にして見たりします。
今回の押尾学被告の裁判報道を見ていて感じた事を。
救急車を呼んでいれば助かった確率が
検察側の医師は100%
弁護側の医師は30~40%
らしいですね?
専門家とやらはこの助かったかもしれない確率が重要で、量刑に大きく影響するってな事を言っていました。
でも、ぶっちゃけ確率なんか関係ないだろ┓(´_`)┏
助かったかもしれない確率なんかどうでもよくね?
むしろ、そのまま救急車を呼ばなきゃ確実に死ぬって状況で救急車を呼ばなかったのが罪だと思うけどねぇ( -_-)
しかも理由が薬が発覚するのが嫌だからとか…自己チューもたいがいにしろよ、と。
で、裁判員。
助かったかもしれない確率が量刑に与える影響は法律の専門家、裁判官に任せるとして、一般人の感覚を裁判に反映させるのが裁判員制度の役目だと思うので、確率に振り回された量刑にならないで欲しいなぁ。
もし自分が裁判員に選ばれる時がきたらそういう事を意識して判断したいな、と。
ん~…なんかとりとめ無いけど、そんな事を感じました。
では。
だから裁判員裁判て気にして見たりします。
今回の押尾学被告の裁判報道を見ていて感じた事を。
救急車を呼んでいれば助かった確率が
検察側の医師は100%
弁護側の医師は30~40%
らしいですね?
専門家とやらはこの助かったかもしれない確率が重要で、量刑に大きく影響するってな事を言っていました。
でも、ぶっちゃけ確率なんか関係ないだろ┓(´_`)┏
助かったかもしれない確率なんかどうでもよくね?
むしろ、そのまま救急車を呼ばなきゃ確実に死ぬって状況で救急車を呼ばなかったのが罪だと思うけどねぇ( -_-)
しかも理由が薬が発覚するのが嫌だからとか…自己チューもたいがいにしろよ、と。
で、裁判員。
助かったかもしれない確率が量刑に与える影響は法律の専門家、裁判官に任せるとして、一般人の感覚を裁判に反映させるのが裁判員制度の役目だと思うので、確率に振り回された量刑にならないで欲しいなぁ。
もし自分が裁判員に選ばれる時がきたらそういう事を意識して判断したいな、と。
ん~…なんかとりとめ無いけど、そんな事を感じました。
では。