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父が知らず知らずのうちに抱えていた闇...それは祖母が作ったものでした。

正直、彼自身この闇の正体に気づいているかどうか、今でも疑問に思います。

 

父は日本とイタリアのハーフで、高知市に住んでいました。

9歳までは普通の家庭でした。ただ祖父は女たらしの酒好きでした。

祖母は父が9歳の時にほかの男性に惚れてしまいました。9歳の記憶が曖昧な父はこのことを覚えていません。

 

私は祖母が浮気をしていたと思います。しかし当時の彼女は、いや、死ぬまで隠し通しました。

祖母は9歳の父を連れて家出しました。そして父に次の話を永遠と頻繁にするようになりました。

 

祖母のストーリー

女たらしで酒好きの旦那に耐えられず家出を決心しました。持ち物は洋服のみ。カバン2つを手にもって逃げるように高知市を後にしました。

祖父は父にも祖母にも一生会いたくないと言い、縁を切りました。そして、いかに辛い毎日だったか、いかに悪い父親だったか、イタリア(祖父の出身地)に関する悪口を言いました。(祖母の目的はイタリア人とは一生話さないようにすることで、ずっと毒を吹き込みました。)

 

父親に捨てられた悲しみと自分の母を苦しめたひどいイタリア人という気持ちが強く根付きました。

 

しかし真実が明るみに出る日が来ました。私を妊娠した母は高知市に親戚がいたためよく足を運んでいました。

そんなある日、私の曾祖母(祖母の母親)が祖父(父の父)について話すようになりました。どんなにいい人だったのか。どんなにやさしい人だったのか。そして母は疑問に思いました。普通、自分の娘に対してひどい仕打ちをした人のことを褒めるだろうか。

いつだったか、祖母とその旦那が持っていた別荘に行くことになりました。別荘の物置には古い洗濯機が置いてありました。

不思議に思った母が祖母に聞きました。「お義母さん、その洗濯機はどうされたんですか?」と。

すると上の空だった祖母はこう答えました。「ああ、それはね。あの子の父親と住んでいたときのよ」

 

母は❔だらけになりました。ん?カバン二つをもって家出したんじゃないの?カバン二つ持ったのになぜ洗濯機が?

どうして曾祖母はあの人のいいことしか言わないの?なんか変...腑に落ちない...

それに私は自分の娘(私)には祖父ともつながってほしい。決めた。次に高知市に行ったとき、私はあの人を探しに行く!

 

高知市に行く日、祖母が母を引き留めました。

「お願いだから...お願いだから。あの人を探さないで。あの人とあの子を会わせることは絶対にしないで」

 

母は微笑み「約束します。絶対に会わせません」と言いました。

電車に乗るなり思ったそうです。「絶対に見つけてやる!」

 

次回は祖父のストーリーを話します。

ドラマのような本当の話。

 

毒親を育てるのは、やはり毒親。悪循環はどこかで必ず止めなければならない。

次回をお楽しみに!

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自分の毒親との関係性、私に与えた影響、私が治療をせざるを得なかった事情など少しずつ書かせていただきますが、私はまずどうして自分の親が毒親になったのか考えてみました。

 

理由が分かった...または自分の中で納得できたのは16歳の時でした。今まで親に聞かされた幼少時代、青春時代のお話しを聞いて「ああ、この人たちは愛することを知らないんだな」と納得しました。彼らが愛されたことがないから、愛することもできない。これはまさに暴力の悪循環になる定番のケースだなと私は思いました。

 

父は祖母に厳しく育てられました。自分がタンゴが好きだからと息子にも教え、間違えたらこっぴどく怒られたそうです。そんな父はサッカー小僧。楽しい時間を過ごしたとは言えないでしょう。厳しく育てられた一方長男だったので、崇拝されていたのも事実です。

祖母は人種差別、身分差別、階級差別、職業差別、性差別をする人でした。(私が一度も好きになれなかった理由はこの差別のオンパレードのせいでしょう。本当に気持ち悪かったです。)なので父は長男で素晴らしい、彼に勝るものはいない、妹も弟も一生兄には追い付けない。自分の大切な宝。思うのは自由ですけど、実際に口にしたり、態度でしめしていました。父に勝らないけどそれなりの地位を持っていたのが叔父です。末っ子、でも男。だから長女よりも上。叔母は2番目に生まれたのですが、最下位で、ずっとしつけとは言えない暴言を聞きながら育ちました。それでも意外とそれなりにしっかりした女性に育ったのだから不思議である。「それなりにしっかり」とは結構矛盾を抱える表現ですが、叔母についてはまた別の章で記させてください。

 

長男の長女であった私はどういうポジションになるのか。それはもう女神レベルでした。

私が何か欲しがるとすぐに与えるという、恐ろしいぐらいわがまま娘を絶賛育て中でした。(もちろんこれらの話は当事者に聞いた話です)

私が生まれる前の階級は父、叔父、その他、その他、その他、その他、その他、叔母でしたが、私が生まれてからは私、私、私、父、その他、叔父、その他、その他、その他、叔母になりました。叔父と私は9歳差ですので、お兄ちゃんに近い感覚でした。ですが、子供の時はずっと私をいじめ(まぁ、それがばれて恐ろしい体罰を受けるのは本人なんですが)仲良くした記憶がありません。

 

厳しいしつけ(鞭)と崇拝(飴)の間で育てられた父はもう一つ闇を抱えていました。

その闇を作ったのは祖母本人です。ドラマのような本当の話。だからでしょうね...私は祖母が大嫌いでした。

危篤になっても会いませんでしたし、通夜・葬儀にも出てません。

 

でも人生不思議なもので、祖母は癌が多発し、痛みを伴いながら死にました。(もちろん薬は投与されていました)

でも脳にも腫瘍ができたため、実際アルツハイマー(認知症)と同じ症状をもちながら亡くなりました。悲しい死に方だと思います。

優しい人でもこのような残酷な死を迎えることもあると思います。しかし、私には一生分のいじめ・いじわる・虐待のつけが回ってきたと少し思ってしまいました。
 

次の記事では父のもう一つの闇についてお話しします。

また読んでください。

 

フォロー、いいね、大歓迎です。いつもありがとうございます。

これからもよろしくお願いします。


 

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※ 登場人物の名前は偽名です。また、場所・職業などには身バレ防止のため多少のフィクションを入れています。

 

最近よく話題に出る「毒親」という言葉。その裏にどれだけの悲しみとコンプレックスが宿るのかは経験者にしかわからないでしょう。

私はいわゆる「毒親」と育ちました。そして、毒親にもたくさんのタイプがあるのだとわかりました。

初めから断っておきますが、私は心理学者ではありません。カウンセラーでもありません。このブログも自分が出会った人や自分の経験を自由に書くために始めました。

 

こちらはかなり長いシリーズになるかと思います。(何話かは未定です)

何卒よろしくお願い申し上げます。

 

話を始める前に質問があります。皆様は毒親育ちの人がどんなコンプレックスに悩まされるかご存じですか。もちろん人それぞれ感じ方は違いますし、性格の特徴からも受け方は変わってきます。でも是非一緒に考えていただきたい。

 

私はHSPのHSS型です。(定義は以下の記事でご覧ください)

 

 

しかし、私の親は違います。なので、小さい時から見る世界が違います。私の家族でHSPなのは私の叔母(父の妹)だけです。

ですが、遠方に住んでいたので定期的にかかわることはできないどころか、10数年ほぼ交わることなく私は育ちました。

 

この性格をしている人で毒親に育てられた人が必ずしも私と同じ思いをすることはないと思いますが、きっと似たような気持ちはあるのではないでしょうか。もしも似てるよと思われる方がいらしたら、是非コメントに残してください。

 

どのようなコンプレックスに悩まされるのか。

先ずは自身をなくします。ですから本当は誰からも好かれてないのではないか、自分は無意味な人間なのではないか、自分なんて価値がないのではないかというコンプレックスに悩まされます。

 

幸いHSP性格を持つ人たちは(あくまでも私の意見ですが)いろいろと分析することができるので、全て自分が悪いと自分を追い込むことはしないと思います。しかし少なからずそういう傾向にあることは事実です。

 

コンプレックスよりも厄介だと思うのは性格の形成です。毒親に育てられると歪んだ価値観を持つことになります。このことについては少しずつお話ししていければと思います。

 

次の記事でまたお会いしましょう。

続きもどうぞよろしくお願いいたします。