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毒親にもいろいろあると思うので、私の経験が全てではないですし、私より辛い思いをされている方々も多くいらっしゃると思います。

しかし、他人と辛さや苦しさを比較するのは良くないことだと思います。自分にとってはそれが精いっぱいだったわけですから。

それをベースに続きを書いていきたいと思います。

 

私は一つ疑問に思うことがあるのです。私が母を「好き」だったことはあったのか。いや、好きだったとしても性格も「好き」だったことはあったのか。正直、最近それはないと思い始めました。何故なら私たち人格は似てても性格は真逆だからです。

私が1歳か2歳のときのエピソードを母が〇十年も前に教えてくれたのですが、その中で私が一番好きなのをご紹介します。

 

私は一人娘なのですが、母はそれはそれはお姫様のような恰好をさせようとする...そうですね。私が人形のような存在でした。

もちろんおもちゃもたくさんあり、特にぬいぐるみが多かったみたいです。そんなぬいぐるみを母はピラミッド型に並べるのが好きだったそうです。私は母がその作業をしている間、ずっと後ろでジーっと見ていたそうです。そして母が終わるや否や一番下の列の真ん中のぬいぐるみを抜き、ピラミッドを壊していたそうです。しかもこのやりとり数回したそうです。私だったら一発でピラミッド型にするの辞めますが(笑)そこも母の頑固なところが出たのでしょう。

 

母は自分がこうだと決めたらまっすぐ突き進むタイプで自問自答したり、分析したりするような人ではないなと思っています。

このエピソードが全てを語っているわけではありませんが、整理整頓に関しては成人してもずっと2人の間のトラブルの原因となっていました。なので私はこのエピソードがいろいろ語っていると思っています。

 

ピラミッド型に整頓したい母。それを拒む私。否が応でもピラミッド型に整頓する母。決して自分の好きなことを曲げない私。

 

次のエピソードで私たちの考えの違いを明らかにすることができるかもしれません。

ある7月、思いランドセルを木の陰一つない通学路を通って足早に帰宅する私。昔から低血圧な私はすでによろよろ。早く家に帰って涼みたい。

 

家に着くや否や玄関で靴を脱ぎ、ランドセルを下ろします。

家に上がって防止を捨て、クーラーのある部屋でクーラーをつけ、ただただソファーに倒れ込みます。

そこに母がやってきてこう言いました。

「散らかしてるんじゃないわよ!早く整頓しなさい!家についてすぐに一つの場所で全部脱げばいいじゃない。こんな帰り方は認めませんよ!」

 

私は言葉を返す気力もなかったので「うるさー」としか思っていませんでした。

私が母なら、私の娘に整理整頓は同じく教えます。でも暑い日差しの中帰宅してきた娘にまずは飲み物を差し出すでしょう。ゆっくり休ませるでしょう。そして回復したら、整理整頓できるようにサポートします。少しだけ散らかっててもいいじゃない。何もかも完璧にする必要なんてないんだから。もちろん、ずっと散らかりっぱなしは良くありませんので、叱るときは叱ります。でも、まず第一に休息、それから整頓も別に悪くないのではないでしょうか。

 

母は片付けない私のとなりで永遠と「片付けなさい」コールを言います。私の疲労が回復しないまま、私はイライラし始めます。そして口論になり(喧嘩するぐらいなら片付けたほうが早いけど、自分の休息が先というポリシーに反するという思いでした)、口論の末にぶたれました。

これは一連の流れとして1年生から5年生までずっと続きました。

なぜ、6年生から止んだのか。それはパートだった母が就職し、帰りが私より遅くなり、片付け後に帰っていたからでした。

もちろん順番は変わりません。休息してからの片付けでした。ですが、彼女はそれを見ていません。なので、これが原因で喧嘩になることはありませんでした。

 

ウザイとしか思っていませんでした。口論で負けるからぶつ。「口答えしないで!」といつも言われました。なぜなら口論で私に勝ったことがないからです。でも、これは決してメンタルヘルス上よろしい環境とは言えません。常に戦いの日々だったのですから。

私はこの時の感情を今でも忘れません。

 

「お母さんは私の体、健康より整理整頓が大事なんだ」

 

心の中で母がどう思っていたかどうかはどうでもいいんです。

実はどうしたかったかなんてどうでもいいんです。

 

問題は相手がどう受け止めているのか。それだけです。

この意見には賛否両論ありますし、お母さんんも人間だから間違えるし、キレることもあるとおっしゃる方もいるでしょう。

私もそれはそうだと思います。そして、そうなったらなったで、仕方がないことだとも思います。

ただ、これは10回の出来事ではないのです。毎日なんです。

 

だから毒なんです。

 

 

 

 

 

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毒親に育てられたことによる辛さ、コンプレックス、トラウマなどを話すにつれ、やはり避けて通れないのが親の紹介です。

そのため、前回は父についてお話いたしました。今回は母についてです。

母はポルトガル人で母方の祖父も祖母もポルトガル人です。全てのポルトガルの年配の方がそうだとは言いませんが、厳しい環境の中で育った方々はどちらかというと厳しく、愛情表現が薄い傾向があります。

 

私の祖母はまさにその典型で、祖父はアル中でした。

その家庭で育った母はアル中の父親に恥ずかしさを感じ、一刻も早く実家を出たがっていました。

厳しいしつけを受け、ほめられたことはなく、小さいころは祖母が「髪をアレンジするのがめんどくさいから」という理由でショートにさせられていました。

 

母も毒親育ち。愛情表現を十分に受けずに育ちました。唯一愛してくれていたのは母の祖母で10歳の時に亡くなりました。

これは彼女にとってもトラウマとなってしまいました。息を引き取ったことを見たのも10歳の母でしたし、葬儀には小さすぎるからと参加させてもらえず最後の挨拶もできなかったそうです。

 

母の闇は理解力の足りない毒親、十分な愛情を受けずに育ち、無駄に厳しくされたこと、並びに父親がアル中だったことが原因だと私は思っています。

 

自分が母親になったら絶対に同じことはしないと誓った母ですが、見事に毒母になりました。

 

次回からは私の話になります。

よろしくお願いします。

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高知市に着いた母は妊娠中なのにも関わらず探偵なみに動き、私の祖父を見つけました。そして、出産後、父と私を連れて高知市に位置する私の祖父(重さん)のうちに行きました。9歳から一度も会っていなかった父は自分の父親と16年ぶりの再会を果たしました。

そして、真実が明るみになったのです。

 

祖父のストーリー

いつだったか家に帰ったらもぬけの殻だった。近所の人に聞いてみると奥さんがお子さん(つまり私の父)を連れて、引っ越しトラックに全ての家具、荷物を詰め、引っ越ししたことが分かりました。終いには自分の息子は自分に会いたがらないことを知り、悲しい毎日を過ごしました。

 

祖父のストーリーが真実だと裏付ける証拠が正に洗濯機です。カバンに入るとは言えないですからね。そして父は祖父に「僕はお父さんが僕に会いたくないんだって言われてたよ」と。衝撃な事実です。自分の母親への怒りが収まらない父を祖父は「もう過ぎたことじゃないか。今更何言っても無駄だ。僕は君のステップファザーに嫌な思いをさせるかもしれないから結婚式にすら招待されたなかった身だ。君と孫に会えるだけで十分だよ。」と言いました。

 

ここで父のプロフィールを伺えるかと思います。

毒母に育てられた父は自分の先祖でもあるイタリア人を恨み、父親を恨み、厳しいしつけと崇拝されるポジションに置かれる矛盾の中で育ちました。実は曾祖母も離婚をしていたのですが、祖母のステップファザーだった人を祖母は憎んでいました。確実にはわかりませんが、あの憎みようは半端じゃなかったので、母に聞いた話ですが、実は性的虐待をうけていたのではないかと思われます。それを曾祖母は見て見ぬふりをしたという結論に母は至りました。

 

毒母に育てられた祖母、毒母に育てられた父、そして毒親に育てられた私。

毒親の悪循環の誕生です。私は父のこの背景を知っているから「人を愛することを知らないかわいそうな人」と思うことにしました。縁は切らせてもらったし、修復不可能な関係で、共感はできないけど...でも、理解はあります。

ああなったのにも、きちんとした理由があったんだな...と。

だからと言って虐待していいわけありません。だからこれはあくまでも理解であり、共感ではありません。

 

次回は母の生い立ちについてお話します。

ここにも毒親の悪循環があります。父と母の背景をベースに自分の話をしますので、もうしばらくお付き合いください。

 

ドラマにような本当の話。今では私までも夢みたいな話です。

続きをお楽しみに!

 

暑ーい日が続いてますから、ビール片手に次のストーリを読んでください!