はい、前回のつづきです。
「紫ラインの内側から出られない!」って思い込んでいる私は、どうすればいいんでしょう?
ということについて、考えてみていただけましたでしょうか?
「前回の記事を読むと、答えがわかるかも。」と、書いてありましたが、その「前回の記事」にあたる「12」を読んでいただけましたか?
では、ご一緒に、みていきましょう。
まず、「スピリットは成長することはない」というのを思い出してください。
スピリットは最初から完璧です。
すでに完璧なものが成長するということはありません。
ちなみに、これも確認になりますが、「スピリット=愛」なので、当然「愛が成長する」ということもありません。
まあ、「愛が成長する」っていう表現はそもそもあまり聞かないですけどね。
でも「愛が深まる」「大きくなる」という表現ならよく聞きます。
当然、愛が「深まる」「大きくなる」ということもありません。
愛は最初から完璧です。
もっと遡って最初のあの3行を思い出すと、
(「あの3行」と言ってわからない方は振り出しに戻る→☆)
そもそも最初から「愛しか存在していない」のでしたから、「大きくなる」なんてないのです。
大きくなるためには、「大きくなるための、大きくなる前には愛がなかったスペース」がないといけませんが、そんなスペースは存在していません。
・・・話が少し逸れました。。。
とにかく、「スピリットは成長しない。最初から完璧」
ここで話しているのは「自分がスピリットの存在(完璧な存在)であるということの”実感”」の成長のことでした。
(しつこいくらい確認してすみません)
12にはこう書いてありました。
それを実感するのに必要なのは
「日々、直面するもの
今いる環境
与えられた仕事
周りにいる人
などなど。
まわりにあるものすべてが、
本当の自分(スピリット)を経験するための
あなたにとって完璧な材料なのです。」
つまり
「日々直面するものに向かい合う」
これだけやっていれば、オーケーなわけです。
13の私の例「怖がって、体験することから逃げている場合」に沿って、これを見直してみましょう。
同時に「怖がらず、体験することを受け入れる場合」を書いてみます。
以下、赤字は、怖がって逃げているバージョン
青字は、受け入れているバージョンです。
「心の中で、実はちょっと(東京でクラスを開きたいな~。もっと多くの人と、いろんな場面でシェアしたいな~)なんて思ってみたりします。でも、やってみて失敗するのは怖いし・・・人からどう思われるかも気になるし・・・そんな想いは心の奥に押し込めて(今はまだその時じゃないし)とか、言っています。」
これが怖がっているバージョンでした。
怖がらないで受け入れていると・・・
「心の中で、実はちょっと(東京でクラスを開きたいな~。もっと多くの人と、いろんな場面でシェアしたいな~)なんて思ってみたりします。でも、やってみて失敗するのは怖いし・・・人からどう思われるかも気になるな・・・ああ、私は(やりたい!)とおもいつつ、でもまだ怖がっているんだな」
そして翌日
「「東京でクラスを開催してください」なんて、人から声をかけていただきます。でもここで、人からそう言われたことで現実味を増した「クラス開催の可能性」に、ますます怖気付き、(いつかするし。でも別に今じゃなくてもいいし。というか、別に東京クラスをしなくても今のままで十分幸せだし。そう。私は今のありのままの状態を受け入れるの)なんてふうに思います。」
「「東京でクラスを開催してください」なんて、人から声をかけていただきます。ここで、人からそう言われたことで現実味を増した「クラス開催の可能性」に、ますます怖気付きつつも・・・(そういうふうに求めてくださる方もいるんだな。)と、受け入れます。」
そしてさらに翌日
「前日とはまた別の人から「東京でもクラス開催してくださいね。楽しみにしています」なんてメッセージをいただきます。でも、前日から怖気付いているままの私は、、、せっかく「してください」と言ってくださっているのに、「ええ、そのうち」とか言いながら(私は今のままで十分満足だし、わざわざ東京までいかなくてもなー)なんて思っています。」
「前日とはまた別の人から「東京でもクラス開催してくださいね。楽しみにしています」なんてメッセージをいただきます。前日から怖気付いているままの私はまだそこにいるかもしれない、、、でも「東京クラスをしたい」と、思った数日前の私の思いと、「してください」と言ってくださる方の存在。これらをしっかりと受け止めます。」
いかがですか?
「怖がって逃げる」というのと、「受け入れる」のは、ほんの少しの違いなんです。
その違いは、心の中だけにあるものです。
受け入れたからといって、目に見える大きな違いはありません。
でも、この心の中の違いが外側、つまり私たちの言動にも変化を与えるのは当然のことですね。
逃げている私と、受け入れている私の半年後は、実はどちらもまだ東京クラスを開催していないかもしれません。
「何をするか?」が問題ではないんです。
今日、出会う人や物事に、どう向き合うか?
それだけです。
自分の思いを素直に受け入れ、周りの人ともコミュニケーションをする。
それだけです。
「受け入れる私、向き合う私」は、日々の中で、自分自身と人に対する信頼を育てていくことができるでしょう。
どこにでも愛はあるわけですから、目の前の人や物事を「受け入れ、向き合う」と、自然に愛を学んでいくことになるのですから。
そういう経験を積むことは「何をするか?」よりも、もっと重要なことです。
でも「逃げる私」は、そんな「私が私を育てる機会」がつねに与えられていることに、気づくことができません。
こちらの記事も、関連した内容ですので参考までにもう一度読んでくださいね。