人間にはたくさんの欲求がありますよね、本能的な欲求が。
でもこの欲求には分かりやすい欲求と分かりにくい欲求とがあるようです。
たとえば何人かで食事をして、最後にお金を払うという時になって、
「俺が払うからいいよ」
なんて言う人もよくいます。
払ってもらった人はただで食事ができたので得をします。だから喜ぶはずかなとも思うのですが、そう簡単ではなさそうですね。
心理系のセミナーで聞いた話で、
「あなたは、与えられることより
与えることに喜びを感じる人ですね」
なんて言われると、「言い当てられた!」 と思う人も多いようです。
たしかに損得勘定だけで考えれば、払ってもらった方が得をするのですが、人間には与えることで満足する心理もあるようで、与えられることを嫌がる人も多いですね。
まあ、払ってもらうと「借り」の感情が起こってしまい、義理として次回は自分が払わなきゃいけないのかな? とか、何かで「借りは返さなきゃ」という心の負担を嫌うという心理もあるかと思います。
でも、こうした欲求って、分かりやすいものと分かりにくいものとがありますね。
たとえば、
「誰かの役に立ちたい」
という欲求は、他の人にはとても分かりにくいですよね。
たとえば、高齢者の介護の話になるとき、高齢者の方の健康とか安全とか食事とかといったことはすぐ思いつきますが、高齢者の方の生きがいなどにはなかなか思い至らないようです。
昔、テレビで見たことですが
「共生型介護」
の話がありました。高齢者の方、障碍者の方、孤児たちなどが一緒に暮らすというところでした。
そこでは、歳をとって元気がなくなったはずのお年寄りの女性が障碍者の方と出会って、食事その他で介護をする姿がありましたが、とても生き生きとしていました。
あるお年寄りの男性は「もう歩くことは無理」とみられていたのに、3歳の子どもの世話をしてたら、いつしか3歳の子どもを追って、立ち上がり、歩き出し、階段まで登ってしまいました。
その他にも、女性が洗濯機の操作が分からず、別の男性に頼んで見てもらったら、頼まれた男性が、
「しょうがねぇな!」
なんて言いながら洗濯機の操作を教えていました。
口ではしょうがねぇな、とか言いながら、表情はとても満足した様子でした。
こんな、
「誰かの役に立ちたい」
という欲求は、なかなか他の人には理解が難しいですよね。
洗濯機の操作を教えた男性も、「しょうがねぇな」なんて言わなければいいのにとも思うのですが、照れ隠しなんかも人間の隠れた欲求のひとつなんでしょうか。