日ごろからちょっと気になっていることをひとつ。
 日本語の男の一人称はどうしてこんなに選択肢が豊富なんだろうと思う。しかもどれを使うかで、特に文章では相手の受ける印象を少なからず左右する。今読んでいる「沖田総司」の登場人物の謙遜しないときの一人称を見てみると
 近藤勇 :わし
 土方歳三:おれ
 山南敬介:わたし
 沖田総司:僕 (話すときはわたし)
となっていた。もうこれでこの四人の人柄とか立場みたいなものを読んでいる方は感じ取れてしまう。これは英語には無い日本語の便利なところだと何かの本に書いてあったけれど、自分が書く側のときは意外にこれが悩ましい。