東日本大震災から10年が経ちました


10年前、私は卒業が決まり

残すは卒業式だけでした

在学中は大学病院で非常勤をさせていただいていて


10年前の3月11日はお休みでした


この日は

伊豆まで河津桜を観に行こうと思ってました

ひとりで行く予定だったのですが


朝起きて

今日はやめておこう

そう思ってやめて、

翌日行く予定にしていた

確定申告の提出に午後から行くことにしました

14時に家を出て

乗り換え駅のエスカレーターで地震に遭いました


なんだこのエスカレーター壊れてる

って思って

上がりきったら駅員さんに壊れてますよ。って言おうと思いました


改札階に上がったら案内の看板が大きく揺れていて

地震だと気付きました


この頃はスマートフォンというのを持ってなくて

今みたいに情報もすぐ入らず

少しして

駅のアナウンスで

東北での地震だったこととが伝えられました

関東でこの揺れ?

東北は?と思いました


とりあえず電車の扉は開放されていて

線路を点検するとのことで

運転見合わせになり

電車で待機をすることにしました


この時点で改札は閉鎖

中にいる人のみ駅構内にとどまれました

なのでトイレもあり、車内で座りながら電車の復旧を待つことができました


しかしながら度重なる余震により

線路の点検は延び

17時になっても動きませんでした


帰ろうと思っても電車が動いていないし

車も渋滞で混雑で動いていない

お腹が減ってコンビニに寄るも何もなく

帰宅中何件かよっておにぎりを買い


20時過ぎ帰宅


棚の本などが全部落ちていたけど

それよりもテレビをまずつけた


津波の光景が目に入り

信じられなかった


海外のニュース番組に切り替えたら


田んぼを走る車が津波に飲み込まれる光景で

怖かったのを覚えてる


そのあと福島第一原発がメルトダウンを起こしたと言う情報が入り

福島第一原発の情報を集めることにした


公開されたニュースは

微妙なものほどすぐ削除されていった

某大臣が50キロ圏内には入らないようにしていたことから

おおよその線量を計算していた


地震の数日後は

関東の各地の病院で異様な現象が起きた


そこから

私は東北の実際を自分の目で確かめたいと

東北に向かい

写真を撮った


宮城と福島では

多くの友人ができ、復興のために

いろんなイベントをしてきた

この出会いには本当に感謝しかない



10年の今年

コロナで東北に行けないことが悔しくもあるが…








でもいつかみんなが笑える日が来るといい



それまで東北に通い続けたいとおもう