わたしを愛する
ってどういうこと?
とわからないときは

家族や身近なひとをみる からの
そこに映し出されるわたしを受け入れる 

をしてみるのもいいです


お父さんの嫌いなところ

お母さんの嫌いなところ

パートナーの嫌いなところ


イラつくことや
受け入れがたいこと
わたしはちがう なところは


多少 見え方は違えど
わたしのことだったり 
ダメ と押さえつけていることだったり 
します



だれかが だれかを悪く言っているとき
よくよく聞いていくと
えっ?あなたもそうですやん 
わたしのこと過ぎて苦笑 よくある
とおもうことがあります
 

ただ やり方や
こだわるポイントがちがうだけで
そういうところあるよ…みたいなこと


つまりは
鏡に向かって怒っているようなこと


より近しい関係
親子によく見られる気がします


あとは 
いい 悪いなど ジャッジや
当然 べき などが強い場合
親なら 〜べき 
夫なら 〜べき


無意識に期待している よいとか 正解とかに
相手からのおもい通りの反応がないと
イラッとしたり がっかりしたり
合わない 嫌い 苦手 無理 となったりする


たとえば
相手のLINEの返信が
ピタピタ いい感じにこないと
嫌い 無理 愛されてない になる とか


わたしの感覚は
万人に当てはまるとはいえない 


あり得ない
真逆 なひとほど わたし。
親戚とか 義実家とかあるかもね


絶望案件だけれど ここを突破すると
ものすごい解放が起こりせかいが違ってみえますよ
経験者は大いに語る
 




わたし以外の周りすべて

わたしを知るために 在る

いまここのわたしでなくても

いつかどこかのわたし 
映していることもあります
 
星の光が遅れて届くように


わたし = だれか
認めたくないときありますけれど

元はひとつで
いまも 
気づいていないけど
ひとつだから


だれかへのおもいは

いつかどこかの 
あるいは いまここのわたしを
忠実に映しているかもしれません



たいせつにしてくれない…とおもうなら

たいせつにできなかったわたしが
いるかもしれません

たいせつにできなかった
悲しみに暮れているかもしれません
拗ねているのかもしれません
怒り狂っているのかもしれません

 
目の前のだれかに転嫁して
悲しみ
拗ね
怒っているとしたら
相手に期待し 待つよりも
わたしがわたしの手を取らなければなりません


わたしがわたしを
まずは 理解し 
たいせつにし
愛している こと


家族(特に親)
パートナーに 違和感があり
感情がザラッとするときは

外が変われば
あのひとがなんとかすればよりも

そう感じるじぶんを
受け入れてあげることです


わたしを映していることが
認められないときは
認めることはありません

嫌い 苦手 無理でいい

悲しみ 拗ね 怒り
もやもやしていいのです


もし何がきっかけがあり
相手よりわたしをみる機会があったなら

すべては ダメ 間違いではなく
そのおかげで
またひとつ わたしを思い出せたと
泣き笑い やがては爆笑していきましょう


どんな相手であっても
わたしが出会うすべてのひとたちは
気づき 
思い出し
ひとつで在るためのメッセンジャー


そうみえないひとこそ
まさにそう です


嫌い 苦手は
ほんとうに近づくための 鍵🔑

ほんとうを知るたびに
嫌いや苦手とひとつになれ

わたしを愛せるようになる


そこも通過点。

下りて 上がって
次へいきましょう



家族(親子) パートナー など
身近なソウルファミリーたちとの学びを紐解き