2024のスタートから
目を覆うような出来事が続き
わたしもゆらゆらと揺れました


1日も早い復興を祈りつつ
わたしにできることをしつつ
目の前の日々をたしかに生きていこうと
切り替えることができました

わたしのホームにかえりました

イメージは
どっしりした山
鏡のような湖面


まさに男体山と中禅寺湖なのよね


そうして
ホーム(たましい)にかえっておもうのは


ほんとうは
プラスもマイナスも
ネガティブもポジティブもない
ということ


いま起こっていることは
マイナスでネガティブにしかみえないとしても。
いまはとてもそうおもえないとしても。です


言い換えれば
マイナスとしてみると マイナスになり
ネガティブと捉えると ネガティブになる
ということ


宇宙には それらの別は存在しないので
ときに残酷なくらいインパクトを与えてきますよね


それがもたらすもの
その中にあるものに
気づかせようと


さらには
気づきたくて
自ら引き受けてもいる


その仕組みはわかりますが
正直打ちのめされることがあります
そんな方法をとらなくてもいいのにね…と。


ただ そうして
わたしたちは 偽物、嘘を脱いで
真の姿をあらわしていくものだともおもいます


弱いふりをしていた者が
じぶんの強さを思い出し


何もできないとおもっていた者が
できることを始め


無関心だった者たちが
お互いを見つめ直し
手を差し伸べあい


助けられていた者が助けることをし
助けていた者は助けられることを受け入れ


アンバランスが バランスを取り戻し


忘れかけていたことを ちゃんと思い出し


命をかけて だれかに何かを与え。



無駄なことはひとつもないことを
たましいの旅のどこかで知ることになるでしょう



マイナス
ネガティブと区切り、嫌うなら

それはそのエネルギーを纏い

マイナスやネガティブを手放すまで
それを見せ続けることさえあるかもしれません


宇宙(内なるわたし)は
決してあきらめません

思い出すまで
取り戻すまで

だから 1日でも1秒でも早く
降参していくといい


二元のせかいのストーリーから
目覚めていけるといい




わたしにとっては急に…の感覚ですが
2025年7月に起こることについて
いろいろ言われているようです


正月に弟と会ったとき
その話を振ってみたんですね


弟は

いろいろ言われているような未来には
ぼくは ならないとおもっている

そうなると信じるひとは
その未来へ行くんだろう

仮にその未来になったとしても
そのまま人生を終えたっていい

特に変えようとすることもない
じぶんの道を行くだけだとおもっている

と言っていました。


わたしも全く同意見で、二人で笑いました



たとえどんな未来が予測されても
実際にどんな未来が来ても
マイナスやネガティブと決めつけたり
特にフォーカスしたりしないとおもいます


揺れたりブレたり落ちたりもあるかもしれません
絶望や失望もあるのかもしれません


でもきっと
夜がきて 朝が来てを繰り返すうちに
またいつの間にか ホームにかえり

いまできることを
助けてもらうことを
遠慮なくしていくのだろうとおもいます


どんな場所にいても
いつか笑えるまで
わたしを生きていくんだろうなとおもいます



そもそも
マイナスやネガティブにフォーカスすることも
何の問題もありません

それも必要であり
そこにいることも癒しのプロセス。


ただね 苦しいのなら
じぶんで出ること
終わりにすることも可能 ということです


そこにいることで休まるなら
それがいいのです


苦しいと感じる考えを取り入れることもありません


あなたの心に灯りが灯ることを
たいせつにしていてください