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あべしんのブログ

京都・奈良・滋賀。寺社、古墳、花……、史跡をぶらぶら散策するおじさんの日記です。
京都市内は、ランニングしながら、ぶらぶらしていることもあります。

皆さま、こんにちは(こんばんは)。

今日は(今日まで)、天気がよいそうなので、ちょっと遠出して、尼崎城を訪れました。
最近(平成27年11月)、四重の天守閣と付櫓が再建されました。
残念ながら、どこかで“木造で再建云々”と噂のお城とは違い、鉄筋コンクリート造りですが、阪神電車に乗る度にチラッと見えるので気になっていたのです。阪神電車に乗るのは甲子園に行く時だけなのでめったにないことなので、たまにしかないのですが・・。

背後の高層ビル(マンション)が目に入るのは、京都や奈良ではあり得ないことで逆に新鮮な尼崎城です。
出来たてでキレイなので、この際訪れることにしたのです。

と言いますのも──。
昨日も書きましたように、修理から帰ったスマホを’まさに再建中’なのであまり時間はかけたくありませんので詳しくは書きませんが──。

今、二条城と尼崎城で『ミュージカル忍たま乱太郎 シリーズ-タイムワープ』と言うイベントが、オンライン配信中で、また『チコちゃんといっしょに課外授業』と言うのも配信されているみたいで・・。
そのパンフレットやパネルを、二条城で目にしたことがきっかけなのです。

◆本来ならば、この時期、奈良東大寺の修二会(お水取り=お松明)を見に行く予定でしたが、「密を避けたい」ので「止めにした」のもあります。

入城券は『忍たま乱太郎』の特別チケットでした。
『忍たま乱太郎』シリーズの作者、尼子騒兵衛さんは、ここ尼崎出身らしく(多分、現在でもお住まい)、その縁から、今回のイベントもあるみたいです。

★因みに、城外ですが阪神尼崎駅前の観光案内所では、『原画展』開催中でした。
『忍たま乱太郎』中の地名などに、尼崎の“もの”がいろいろ出てくるみたいです。
観光案内所のお姉さんにいろいろお話を聞くうち、「それはお城も再建せにゃ」と思った次第です。

大坂夏の陣後、徳川政権は、西日本を支配するために、大坂城を中心として、交通の要衝(拠点)に城を築き、譜代大名を藩主として治めさせました。
尼崎城も、その一つです。

摂津国の“湾岸&河口”のこの辺りは、古代より“超重要な”交通の要衝でしたから──。
長岡京遷都の際、桓武天皇政権は、淀川と神崎川を結ぶ水路を開削し、「都への玄関口」を難波(河内国)から摂津国に変えたのが、この辺り。
平安時代後期から、摂津源氏が拠点としたのも、この辺りから現在の川西市や宝塚市周辺まで・・。
※一つ東の阪神電車·大物(だいもつ)駅は、『平家物語』にも「大物浦」として登場する地名に縁がありますからね。

それは置いときますが──。
尼崎城主には、戸田氏、青山氏、松平氏と、代々譜代大名が就きました。

尼崎城を築いた(初代城主)のは、戸田氏鉄(うじかね)。徳川家康の小姓(近習)上がりの武将です。
関ヶ原の戦い後の後、近江膳所藩主になり、大坂の陣の際には居城の膳所城の守備に徹しました。そしてその後、ここ摂津尼崎5万石の藩主となりました。
後(1637年)の島原の乱では、実戦経験の少ない政府(徳川)軍を率いて乱を鎮圧するのに活躍しました。

現在の(再建)尼崎城内は、VRで再現された尼崎城や城下町を見たり、時代衣装を身につけたりして、昔(江戸時代)を楽しみながら学べるようになっています。
時間の都合、または写真掲載枚数の都合で、詳しくは書きませんが、小学生から大人まで、楽しめるのではないかと思います。

刀や槍(レプリカ)を持って、その“重さ”を体感できるコーナーもありました。
時代劇では、軽々と持っていられるようですが──。

鉄砲(火縄銃)なんかは、ずしりと重かったです。
あと写真で載せませんが、ゲーム感覚(クイズ)で、銃を撃ったり刀を降ったりする「侍体験」のコーナーもありました。

原寸大のシャチホコ。
撮影コーナーになっているみたいです。
本当に省略ばかりでスミマセンが、至る所に「インスタ映え」のコーナーがあると言う感じです。

江戸時代中期の『尼崎城分間絵図』と言う資料が、近くのお寺に残っていて、詳しい寸法などが分かるそうです。
鉄筋コンクリート造りとは言え、外観は江戸時代の姿に忠実に再現されているそうです。

城の北西側には、戸田氏鉄公顕彰碑が建っています。

それから、江戸時代中期の国学者・契沖(けいちゅう)が、ここ尼崎城下の出身らしいです。

やはり石碑が建てられていました。

因みに──。
あと、近松門左衛門と、尼崎の寺町にある広済寺(??)は、交流があったらしく、その縁で「VRシアター」の進行役として登場していました。

その後、近隣を歩きました。尼崎城天守閣遺蹟の石碑がありました。
尼崎市立博物館の前です。

そして、歩道には、尼崎城石垣の石が並べられて(転がって)いました。
明治6年(1873)に廃城になって、取り壊されるまで“あった”お城ですから、発掘の必要はないですね・・。

さらに東へ歩むと──。
古来、中世、近世と、交通の要衝であったことを物語る石碑を幾つか見つけることができます。

また、阪神電車の線路の南側(お城の北側)には、こんな近代の遺産も。
尼崎レンガ倉庫(阪神電鉄旧尼崎発電所)です。
高層マンションとの対比が、何とも言えない・・。

良い子の皆さま、お城ファンの歴女の皆さま、そして私たちジジイも、楽しめる、そんなお城ですね。

コロナ禍が終わったら、是非!!