すみません、昨日の記事の続き(オマケ)です。
昨日、大修理前の興福寺の五重塔を拝観させていただきましたが──。
たまたま、隣り合わせた方と、明治になって「廃仏毀釈」の嵐が吹き荒れた時に、売りに出されたことや、解体して薪にして売られるところだったことが話題になり、盛り上がりました。
ほんとにねえ・・。
歴史的建造物の価値って、なんでしょうねえ・・。
次は──。
その後・・。
平城宮跡に移動して──。
復原間近の(来年3月予定)の大極殿院南門ですが──。
門と工事現場を覆っていた「素屋根」が、およそ1ヶ月をかけて移動して、ご覧のようになりました。
南門の全体像が、はっきりしてきましたね。
★奥に見えるのは、2010年に復原された第一次大極殿です。
昨日、興福寺の五重塔の大修理の完成を「生きて見ることはできないかも知れない」と書きましたが──。
こっち(第一次大極殿院)の復原終了は、もっと後でしょうから──。
残念ながら、私が見ることはできないでしょうね❗
でも、この先、何百年も残ってほしいです。
さて──。
昨日から始まったイベントがもう一つありまして──。
平城宮跡資料館の地下の正倉院展です。
本家の「正倉院展」に先がけて・・。
今年のテーマは、「木簡を科学するⅡ」です。2014年に続いてになりましたので、“Ⅱ”になっています。
「年輪年代学」により、木簡の年代を測ることにより、木簡に記載された内容をよりよく読み取れるようになったこと。
木簡の形をとらえるために、「3Dプリンター」をいただき活用して出力されるようになっていること。
平城京内の発掘調査により、「動物遺体」が見つかることにより、木簡に書かれた内容の“ウラ”が取れること。
また、逆に──。
西大寺の食堂院から「動物遺体」が出土していることに、木簡に“書かれていない”人々(お坊さんたち)の食生活が垣間見えること。
木簡を複製する(=レプリカを作成する)方法の進化により、より“再現度の高い”ものが得られるようになったこと。
木簡を後世に伝えてゆくための「保存処理」の方法。
──などが、解説・展示されていました。
“デリケート”な木簡の「実物」が見られる貴重な機会です。
そのため、展示物は、1期と2期に2週間ずつに分かれます。
20ほどの木簡を、全部覚えておく訳にも参りませんので、2~3をこの機会に・・。
1期では、「国宝木簡」は、これ!
「長門国からの‘ブランド’ワカメの荷札」です。
「天平十八年三月廿九日」の日付も貴重です。
木材の“木取り”で、より「年輪年代法」を適用しやすい“柾目材”の代表として、展示されていました。
重要文化財の「長屋王木簡」からは、これ!
「柾目材」の例として展示されていました。
「天平寶字四年」の文字と「年輪年代法」で、年代を特定していく訳ですね。
また、2期にも行くと思います(^.^)





