京博寄託の名宝 ~京都国立博物館~ | あべしんのブログ

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京都・奈良・滋賀。寺社、古墳、花……、史跡をぶらぶら散策するおじさんの日記です。
京都市内は、ランニングしながら、ぶらぶらしていることもあります。

皆さま、ご無沙汰いたしております。

暑い日が続いたり、台風がやって来たり──。
なかなか“ハードな”8月です。
私的には「多忙で寝不足」でして、とりあえず「体調を維持するために休養を・・」と言う毎日が続いております。そのため、なかなか“このブログ”にたどり着けないですが・・。

本当にすみません。


さて──。

今月のはじめに、MIHO MUSEUMを訪れました際、「長屋王願経」と呼ばれる『大般若経』を見て感激(!?)した話を書かせていただきました。

因みに──。
「長屋王願経」には、「和銅経」と「神亀経」の“二種の『大般若経』”があり(残ってい)ます。
今回、話題に‘しない’方の「神亀経」の方から紹介しますと、神亀5年(728)に、長屋王が、父·高市皇子と母·御名部内親王(天智天皇皇女)の冥福を祈り、また聖武天皇をはじめとする代々の天皇のために、書写した(させた)『大般若経』が、「神亀経」です。
◎うわっ、例の事件の直前ですね。

そして、今回話題にしています「和銅経」は──。
長屋王が、慶雲4年(707)に崩じた文武天皇の冥福を祈って、書写した(させた)『大般若経』です。和銅5年(712)の発願なので、「和銅経」と呼ばれてます。
長屋王邸宅跡の発掘調査から、この発願文の末尾にある「北宮」は、長屋王の妃であり、文武天皇の妹でもある吉備内親王(草壁皇子皇女)の宮であったとされています。よって、この「和銅経」は、吉備内親王の意によって、夫である長屋王が、従兄弟であり、かつ妻(妃)の兄である文武天皇の冥福を祈るために「北宮」で『大般若経』六百巻を書写したものと考えられています。

そして、元あった六百巻のうち、滋賀県甲賀市太平寺に142帖、見性庵に43帖、常明寺に27帖が伝存します。
※他にも、民間に、散逸したものが少し伝来しています。

なんか、話が長く、難しくなってしまいました。
要は──。
《書写年次の明らかなわが国最古の『大般若経』》なのです。
「1,300年以上も前の写経生の書写した文字」を、今、目の前にすることができるのです。
しかも、何とキレイな文字だこと!

皆さま、不思議とは思いませんか!
感激しませんか!

さて、思いっきり、「前置き」が長くなってしまいましたが──。

MIHO MUSEUMでは、現在、常明寺に伝来したものを見ることができます。
そして、同時に!
京都国立博物館では、太平寺に伝来した『大般若経』(「長屋王願経(和銅経)」)が公開されています。
まだ「ひらがな」も「カタカナ」もない時代の、1,300年ちょっと前のこの国の人が‘書いた文字’を、滋賀京都の2つのミュージアムで、今見ることができるのです。

──と言う訳で、京都国立博物館に行ってきました。
こう言う(むし暑い)日は、空調の効いた室内で過ごすのがベストです。

9月16日(祝)までの1ヶ月間、「ICOM京都大会開催特別企画」として、「京博寄託の名宝~美を守り、美を伝える~」が開催中です。


この展覧会のポスターやパンフレットを飾るのは、建仁寺に伝わっています『風神雷神図屏風』(俵屋宗達筆)です。
しかし普段は、建仁寺を拝観しましても、見ることができるのは「複製画(レプリカ)」で、「実物(ホンモノ)」は京都国立博物館に寄託中です。
京都の寺社は「美術館や博物館のようだ」と言われることがありますが、大抵は《このパターン》です。「寺社で目にするのはレプリカで、ホンモノは博物館にある」と言う・・。
※中には、「里帰り企画」などもあります。また、お隣りの智積院さんのように立派な収蔵庫や宝物館をお持ちの寺社もあり、例外もあります。

京都国立博物館には、6,200件余りの寄託品があるそうですが、その中から“選りすぐりの名品”が展示されています。
国宝や重要文化財の数々が、ズラリと並んでいます。

美術や日本史の教科書で見たような絵画や仏像、書跡や工芸品などが、たくさん出展されています。
「特別展」なら「目玉商品になる」ような文化財が、各展示室に複数並んでいます。凄いことになっています。

そのため──。
「お腹いっぱいになってシンドイ」側面もありますが、そこは「各人の趣味に合わせて取捨選択!」、、、十分楽しめる、そして勉強になる展覧会です。
しかも、常設展と同じ観覧料(一般520円)で、または割引の手段によってはもっと安い料金で、見ることができるのですから、こんな機会は逃すべきではありません!

それから──。
夏休みの美術の課題がまだの中高生の皆さん、「どれかを決めてじっくり観賞」と言うのは如何?


私の方は──。
特に、私が実物を見たかったのは『金銅小野毛人墓誌 京都市左京区上高野出土』です。

表面には「飛鳥浄御原宮治天下天皇御朝任太政官兼刑部大卿位大錦上」、裏面には「小野毛人朝臣之墓営造歳次丁丑年十二月上旬即葬」と刻まれています。

江戸時代はじめに、現在の京都府京都市左京区上高野、今の崇道神社裏手の山から発見されました。もちろん、国宝に指定されています。

まだ京都盆地に平安京なんぞ存在しない時代、この国の政治の中心が飛鳥にある時代に、山城国から近江に抜ける街道沿いの山の中に、当時の有力官人が葬られていたなんて・・。
※しかも比叡山にはまだ延暦寺もありません。
古代史上、とても重要な、重大な発見です!

あっ、小野毛人は、あの遣隋使で有名な小野妹子の息子です。

崇道神社小野(滋賀県の小野妹子縁の地)、或いは池坊小野妹子の関係などについては、過去にこのブログで詳しく取り上げていますので、これ以上は書きませんが・・。
「いい冥土の土産」になりました。


私が“今お手伝いさせていただいている事”から、どうしても話題の中心が「古代日本史」「奈良時代から平安時代前半の歴史」になりがちですけど──。
個人的に“知ってる人は知ってます”よね・・。
私の趣味の“ど真ん中”は「近世絵画」であることを!

その意味では──。
2階の展示内容は、ドンピシャ❗でした。

まず、はじめの「中世絵画」の部屋で、狩野派初代と二代の狩野正信狩野元信の障壁画が並び──。
メインの真ん中の部屋で、安土桃山時代に競演した狩野永徳海北友松長谷川等伯の「代表作」が、その美と迫力を見せつけ──。
(★この3点の競演はお見事❗)
最後の部屋で、江戸時代の優作を堪能し──。
“私推し”の河鍋暁斉で締められているのは、、、。
「私を2階から離さない、帰らせない意図」があるのでは?──と疑ってしまいました。


今回、目玉商品は他にありまして──。
国宝指定されたばかりの京都·安祥寺『五智如来坐像』は、圧巻で!
さっき言いましたように、9世紀の日本史は「私の研究テーマ」の一つで、この5体の仏像の背景についてはナンボでも語れるのですが・・。

はじめに《地味な出展品2件》について語ってしまいましたので、これ以上コメントするのは、止めておきます。

でも──。
見所いっぱいですよ!

今年は「天目茶碗」絡みで、陶磁に注目していましたが、その観点から、いきなり「目の保養」になってますし・・。
縄文式土器も、銅鐸も、三角縁神獣鏡もありますし・・。
「書跡」のコーナーなんか、一部屋まるごと国宝ですし・・。
まあ、いろいろ、いっぱい、いっぱい!!

あとは「ご自分の興味や関心、ご趣味」に合わせて楽しんでください。

私も‘そうして’取捨選択したのですが、それでも2時間半かかってしまいました。すみません(!?)。

では、また。


おまけの話です。
本来なら、1回、名古屋に行ってたハズの今日この頃です。

大人の事情か何やらで、無くなってしまいました。
代わりに、ネット(Twitter)で見つけた平和の少女像の紙工作(とび出す絵本式)をしてしまいました。
後ろで支えているのは、文庫本です(大きさを示すために)。

もお、しゃあないなあ~~。
この“ホンモノ”を見るのは、またの機会に・・。