諸般の事情で、なかなか暇ができませんでした。
ブログのことを忘れてしまった訳ではないですが、記事にするような出来事がなくて……。
世間では「ゴールデンウィークなるものの最終日」の今日(5月6日)、やっと"まともな"休みが取れました。
そこで、趣味(史跡巡り)と実益(運動)を兼ねて、「西国街道&桂川沿い」をサイクリングしながらの"プチ遠出"を実施いたしました。
具体的には、長岡京市へ。
※一部、向日市を含みます。
まずは、その向日市内から──。
★と言っても、ちょっと歩けば長岡京市に入る所なんですけど……。
西国街道を南へ〈京から西国へ向かう方へ〉、向日神社の参道の前を過ぎると、五辻の交差点に着きます。

平成24年に復元されました、大きな五辻の常夜灯が見えますね!
※ここは、以前にこのブログで取り上げています。
左へ行くと西国街道(南へ)、右へ行くと善峯寺や光明寺へ通じる参詣道です。
江戸時代の終わり頃から、眼の病によく効く水があると言うことで、ここから西の山中にあります楊谷寺(楊谷観音)へ参詣する人々が増えたそうです。慶應元年(1865)、京中の楊谷寺へ参拝する講のひとつが、京から向かう「柳谷道」の起点となるこの地に石灯籠を建てたものを、最近になって復元したものです。
今もなお、ここから東に(桂川までの狭い地に)、阪急京都線、JR東海道本線、国道171号線、名神高速道路、東海道新幹線が並ぶ《交通の要衝》に相応しい"史跡"ですね。
この五辻の交差点から400mほど東へ、住宅街の中を少し歩くと、大極殿公園と名付けられた公園に至ります。

ご覧の通り、史跡長岡宮跡です。
※阪急西向日駅からでも、北へすぐの所です。
残念ながら、【奈良時代から平安時代へとつながる歴史】の中で、都が「平城京から平安京へ遷された」と思っておられる方が"意外に"多いのです。
★このブログをお読みの方には、そんな間違いをする方は居られないハズですが……。
或いは──。
「長岡京はマイナーでパッとしない」と率直に感想を述べられる方も居られます。
たった10年の都なので、仕方ないかも知れませんが──。

でも発掘調査の結果、大極殿も朝堂院も、門も楼閣も、この地に建てられていたことが、分かっているのです。
瓦や木簡や硯などが、出てきているんです。
かつて都は、ここにあったことは間違いないんです。
桓武天皇は、平城京で即位したんですが、諸般の事情から──。
★諸説あります。ここでは、ふれません。
スミマセン、話を戻します。
桓武天皇は、延暦3年(784)11月、ならの都〈平城京〉を廃し、「長岡村」へ都を遷しました。それが、長岡京です。延暦13年(794)10月までの10年間、平安京に都が遷されるまで、この国の首都として、政治や経済の中心となりました。

大極殿公園は、大極殿があった場所です。
瓦葺きで礎石に朱塗りの柱が立つ、宮内で最も立派な建物です。政務や儀式の際、天皇(桓武天皇)が出御する場でした。元日の朝賀では、幟旗(宝幡)が立てられ、華やかな儀式が演出されました。
公園の北側、大極殿の後殿〈小安殿〉のあった辺りに、とてもきれいで詳しいサインが置かれていました。

天皇が大極殿に出御する時の「控えの間」になりますかね。
阪急京都線の東には、内裏内郭築地回廊跡や築地跡、春宮(とうぐう)坊跡などもありますが、時間の関係で、カットしますが──。
大極殿公園から、さらに南へ300mのところに、さらに大きな公園があります。
朝堂院公園です。もっと詳しく言えば、朝堂院西第四堂跡・南門跡・翔鸞楼跡です。

柱跡が復元されているのは、朝堂院の南門の西側に建てられていた楼閣建物(翔鸞楼)の跡だそうです。
当時の役人たちは、毎朝、この建物を目指して出勤していたのでしょうね!
あっ、長岡宮では、今のところ、朱雀門の跡は見つかっていないそうです。移築が間に合わないうちに、次の遷都が決まったと言うことでしょう。
朝堂院は、今で言うところの「国会議事堂」や「霞ヶ関の官庁街」にあたります。

長岡宮では、東西に四堂ずつ、計八堂からなっていました。親王や大臣、役所の長官が座り、中庭で政務が行われました。
国の政策が決定される重要や場所です。
平城宮跡ほどではありませんが、木簡や筆記用具が出土しているそうです。

すぐ近くに、阪急西向日駅あるので、とっても便利のよい所です。交通の便もいんです。でも、、、。
ゴールデンウィークの日曜日なのに、貸し切りなのが、残念です。
遷都が決まってから、わずか半年ほどで中心部が立ち上げられたと言われています。
政治に空白は許されませんからね!
それで、八堂から考えられることと言えば──。

長岡宮の朝堂院の建物は、瓦の研究や発掘調査によって、後期難波宮から移築されたことが分かっています。
淀川~桂川の水運を使えば、それは容易いことだったんですね!
桓武天皇も、延暦6年(787)の詔の中で「水陸の便なるを以て都をこの邑に遷す」と述べているくらいですから……。
公園の東側(西向日駅の方)に、案内所があります。トイレも付設されています。

ここで、ガイドさんの案内を聞くことができます。瓦も見せていただきながら、いろいろ勉強することができました。
と言うことで──。
「長岡京散歩」を始めた訳ですが、続きは、明後日以降に書くことにします。
また、よろしくお願いいたします。