そして、多分――取り合えず――、今日が最後の回になると思います。そして、プラス1回おまけを付け足します。
そこで――。
まず、境内の入口、朱塗りの鳥居の前に戻ります。

上の写真、鳥居上部の「日吉大社」の扁額の上を見てください。牛尾山(八王子山)の山上が写っています。
山頂のやや右下に、社殿の屋根があるのがお分かりでしょうか?
もう少し"アップ"の写真で――。
「日吉大社」の扁額の右側を見てください。何か建物が見えませんか?

今回の目的地は、《ココ》です。
東本宮の楼門からだと左へ
西本宮から、宇佐宮、白山宮、2つのお地蔵さまと恵毘須社にお参りしてから東本宮に向かうと、神輿収蔵庫のすぐ前に、参道の登り口が見えてきます。
右手に見えますのは、牛尾宮遥拝所です。石段を挟んで左手には、三宮宮遥拝所があります――ちょっとだけ写っています――。

さて、この登り口から、往復約1時間の"修行"始まります。もう少し速く"走れる"人は、もっと短時間で往復できます。
八王子参道、別に「猿の馬場(ばんば)」との名が付けられています。
急段、急坂なので、健脚でないと、なかなか大変です。たまの運動にはピッタリですが、歩きやすい服装と靴をご用意ください。ここ数日は、足下に雪や氷が残っていることも考えられますので、止めた方がいいです。
遥拝所から両宮まで30分ほど。
遥拝所にだけお参りして、止めといても……。

けっこう坂がキツいのです。
すぐに汗ばんできます。でも、空気が清々しいです――神のお山ですから――。

でもこの坂道を、お神輿が運び上げられ、そして担ぎおろされる日があるのです。
4月12日の日吉大社山王祭の「午の神事」では、夜の暗い中、牛尾山(八王子山)の山上から、牛尾宮・三宮宮の2基の神輿が、急勾配の石坂をなだれ落ちるように、山麓まで運ばれます。
東本宮でおろされた後、轅(ながえ)を互い違いにして安置されます。「尻繋ぎの神事」と言われます。
神々の結婚を意味するそうです。
(――そして、若宮さまのご誕生につながります。)
2基の神輿が、この坂を担ぎおりる荘厳な神事は、その"結婚"の前提となる大切なものだそうです。
などと考えていたら、途中、眺めの素晴らしい所にたどり着きます。

びわ湖が見えるのが……。
そろそろ、山上も近そうです。
なんて考えていたら、石段の上に巨岩が迫り出しています。これぞ、《磐座》って言う感じです。

ここは、神奈備山でありました。
またしばらく行くと、素晴らしい眺めです。

三上山(=近江富士)が見えますね。写真では、うっすらとしか写っていませんが、もっとハッキリ、キレイに見えていましたよ!
考えたてみたら、あちらも神奈備山でした。
そして、その先を見上げれば――。
麓から遠くに見えていました山上の社殿が見えてきます。
左側が――柱しか写ってませんが――、三宮宮の拝殿と本殿です。そして右側が、牛尾宮の拝殿と本殿です。
この牛尾山(八王子山)の山頂近くに建つ両拝殿は、わが国の"懸造り(舞台造り)"のルーツと言われます。

どちらの摂社の本殿も、三間社流造り、檜皮葺きです。また、三宮宮の拝殿は、桁行4間、梁間5間、牛尾宮の拝殿は、桁行3間、梁間5間、どちらの拝殿も、本殿の正面を取り込むような形になってます。
どちらも、崖上に建てられていて、"懸造り"になっています。そのために、拝殿の入母屋造りの"妻側"が正面を向いています。
※後で、山の上の方から見た写真も載せておきます。
でも、入り口は、通路(参道)となっている石段の上部に向かってついています。つまり横から入れるようになっているのです。その入り口には、"軒唐破風"が付けられています。
ぐるっと回って、見上げると――。
牛尾宮の拝殿入り口の"軒唐破風"が見えますね。

そして、突き当たりには、巨岩が見えますが、それはちょっと置いておいて……。
牛尾宮のご祭神は、大山咋神"荒魂"で、本地仏は、千手観音です。
三宮宮のご祭神は、鴨玉依姫"荒魂"で、本地仏は、普賢菩薩または大日如来です。
牛尾宮の本殿と拝殿は、文禄4年(1595)日光東照宮建てられたものです。それから、三宮宮の本殿と拝殿は、慶長4年(1599)に建てられたものです。ともに、桃山時代の特色をあらわした建物だと言われます。どちらも、重要文化財です。
それでは、両宮の向こうの"巨岩"の話にします。
金大巌と言います。

神の依る巨岩の磐座で、古来より「こがねのおおいわ」と崇敬されています。
大山咋神の《奥城(おくつき)》と言われます。《奥城》とは、"神霊をお祀りする所"と言う意味です。その右が牛尾宮の本殿、左が三宮宮の本殿と言う配置になります。
両宮の前の石段に腰掛けて、ひとまず休憩しましょう。
麓の坂本の里坊や日吉大社の境内が見えます。びわ湖の雄大な景色を見ながら、ユックリしてもいいのですが――。
忘れてはいけません。さらに上を目指して……。
金大巌の裏手に、さらに山頂に繋がる道が続いています。ちょっと険しいので、足腰に不安のある方にはおススメできませんが……。
上から牛尾宮、三宮宮の建物を見下ろしますと、確かに拝殿の屋根の"棟"は平行して麓の方を向いていますね。
こんな大きな岩がごろごろした細い道を登っていきます。
5分ほどで、牛尾山(八王子山)の山頂に着きます。
この石積みが、山頂です。
標高381m、神のお山の頂きです。
他には何にもありませんので、Uターンです。
日吉大社の神輿は、「日吉山王神輿」とも呼ばれます。その歴史は、かなり古そうです。
社伝では、延暦10年(791)、桓武天皇の勅願によって、西本宮と東本宮の神輿が新造されたのがはじめで、以降、順に他の宮の神輿も造られ、永久3年(1115)、三宮宮の神輿の造営をもって7基が揃ったそうです。
延暦寺の衆徒が、この神輿を担いで都に乱入し、朝廷や摂関家などを相手に強訴におよんだのは、白河院政の時のことでした。
その後も神輿を担いで強訴を繰り返し、白河法皇に
「朕の心に従わざるもの」は「賀茂川の水、双六の賽(さい)、山法師」
と嘆かせたほどでした。
後白河院政の時には、都への乱入を源氏・平氏の兵に阻まれたので、7基の神輿を鴨川の河原に放置して山に帰ったと言う事件もありました。
この時代では、"あの"大河ドラマ『平清盛』で――。
祇園社における乱闘事件の処分を巡って、比叡山延暦寺の僧たちが強訴に及んだ時、その神輿に、平清盛〈松山ケンイチさん〉が矢を射かけた場面が印象に残りますが……。事件の真相は分かりません――私がこう言う時は大抵疑わしい――。
40回以上も猛威を振るった神輿も、織田信長の焼き討ちにより、すべてが焼失しています。現在の神輿は、その後に新調されたものです。
4月14日、神輿は、日吉大社山王祭の「神輿渡御」および「船渡御」で、坂本の町とびわ湖上を巡行します。
機会があれば……。



