ちょっと一服 & 神さまのお話で脱線です | あべしんのブログ

あべしんのブログ

京都・奈良・滋賀。寺社、古墳、花……、史跡をぶらぶら散策するおじさんの日記です。
京都市内は、ランニングしながら、ぶらぶらしていることもあります。

最近、葛湯【くずゆ】なるものにはまってまして、葛湯と言いましても、ビンからキリまでありまして――。
吉野本葛100%のものから、馬鈴薯澱粉が主で吉野本葛がちょっとだけ入っているものから、イロイロです。

これは、最近、の中でヒットしています「ほうじ茶くず湯」です。
もちろん贈答用ではありませんので、後者の方、馬鈴薯澱粉が主の方です。でも、自分用ですから、これで十分です。
※贈答用は、吉野本葛100%のものにしていますよ!

寒い冬の、夜の読書のお伴です。
私は、仏教信者ですから、アルコールはいけませんし、コーヒーにすると眠れなくなると困りますから……。


それで、葛湯を飲みながら――。
神さまのお話です。

と言いますのも、次回から書きます"ある神社"の記事に関して、先にちょっとだけ神さま予習をしておきたいのです。


その神さまのは、大山祇神(おおやまつみのかみ)、あるいは大山咋神(おおやまくいのかみ)と言います。
※細かなことを言うと、違いがあるようですが、ここでは同一神として話を進めさせていただきます。

「オオヤマツミ」の"ツ"は"の"、"ミ"は"神霊"の意味だそうです。「オオヤマツミ」とは"大いなる山の神"です。別名、「和多志大神」とも言います。「わた」は海のことです。その名は、"海の神"を表します。そうなると、"山と海の両方を司る神"になります。

「オオヤマクイ」の"クイ"とは"杭"のことです。すなわち、大山に"杭"を打つ神、「大きな山を所有する神」を意味します。"山の地主神"であり、あるいは"農耕・治水を司る神"とされます。

いずれにせよ、大山祇神〈大山咋神〉は、元々この土地に居られた神さま
、全国の山を管理する総責任者だったのです。


このブログでは、すでに京都市西郊の梅宮大社で登場しております。
酒解神〈=大山祇神〉として――。

天孫降臨――。
天照大神の子孫であります瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、この国を譲り受けるために、高天原から葦原中国へ降り立った後――。

瓊瓊杵尊は、大山祇神の娘であります木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)と契りを結び、彦火火出見命(ひこほほでみのみこと=山幸彦)を授かりました。
――と言うお話をさせていただきました。
つまりは、天孫が"この国に"元から居られた神さま"と繋がりを持ったと言うことですね。

また、その際に、こんな話もついでに書かせていただきました。

地上に降りた瓊瓊杵尊は、美しい女神・木花咲耶姫命に出会い、求婚しました。それを知って喜んだ女神の父・大山祇神は、女神の姉の石長姫命(いわながひめのみこと)も一緒に娶ってもらおうと、たくさんの結納の品と共に差し出しました。
ところが、瓊瓊杵尊は醜い石長姫命を送り返し、木花咲耶姫命とだけ契りを交わしました。

木の花が咲くように美しい女神は"短命"の象徴、岩石のように醜い女神は"永遠"の象徴です。
瓊瓊杵尊は木の花を受け入れ、岩石を捨てました。そのことを恥じた大山祇神は、呪いをかけました。
「私の娘二人を差し上げた理由は、石長姫命を受け入れられたならば、天孫である瓊瓊杵尊の命は、何があっても常に岩石のようにいつまでも堅く動かずにいらっしゃるであろう。しかし、石長姫命を帰らせて、木花咲耶姫命だけを留めたために、瓊瓊杵尊のご寿命は、花のように短くあられるであろう」
天つ神の御子であります天皇の命が有限である由来を述べたお話でしたが……。

それはさておき、次の回のお話では、大山祇神は、"お山の地主神"であることは思い出しておいてください。


▼▼▼▼▼
今日の内容とは、まったく関係ありませんが――。
人が(他人さまが)お読みになる以上、私の方も、これからちゃんと勉強しておかなければなりません。
それで、時々このブログても書かせていただいています通り、この国の神さまや仏さまについての捉え方は、明治のはじめに大きく変えられています。勿論、国家によって。出来る限り、その影響を受けない、わが国古来の神さまのことを、考えたいです。
個人的には、"維新"と言う"単語"はあまり使いたくありませんし、その"単語"にあまり良いイメージは持っておりませんが、《明治維新と神道》に関する本をいろいろ探していましたら――。
『神々の明治維新』(安丸良夫著・岩波新書)と『国家神道と日本人』(島薗進著・岩波新書)の2冊を、図書館でお借りすることができました。
これから先、どこかの1週間、読書に没頭したいと思います。もし、ブログをお休みしていましたら、読書中だと思ってください。
スミマセン。