撮れたてではないですが、紅葉だより ~鹿ヶ谷安楽寺~ | あべしんのブログ

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京都・奈良・滋賀。寺社、古墳、花……、史跡をぶらぶら散策するおじさんの日記です。
京都市内は、ランニングしながら、ぶらぶらしていることもあります。

京都市の北東郊、東山の麓、琵琶湖疎水沿いの歩道は「哲学の道」と呼ばれます。この道のまわりには、多くの人々が観光に訪れる寺社が点在します。
北には、銀閣寺(慈照寺)や法然院、南には、永観堂(禅林寺)そして南禅寺、白川通をはさんで西には、真如堂(真正極楽寺)や金戒光明寺(黒谷さん)。

住蓮山安楽寺は、これらのちょうど中間に位置します。美しい庭のお寺ですが、観光シーズンでも意外とすいています。
――公開される日が限られているのが、その大きな理由ですが、――
黒石を敷き詰めた参道と茅葺きの山門の下にカメラマン(ウーマン)が詰めかけておられたとしても、境内ではゆっくり過ごせます。


建永2=承元元年(1207)、法然上人に四国配流の宣旨がくだりました。時に法然上人75歳のことです。
念仏によって、貴賤・性別を問わず救われるという法然上人の教えのもとには、日々苦しい中を生きる庶民、末法の世をはかなむ僧が集まりました。関白九条兼実は、日記『玉葉』の中で「法然聖人を招いて、戒をうけ念仏を催した」(1189)と記したように、貴族や武士の間にも、帰依するものが出てきました。
この念仏の進展に難色を示したのが、比叡山延暦寺と南都興福寺でした。自らの権威の低下、転向僧の続出、信者の減少に危機感を募らせたのです。
延暦寺は、元久元年(1204)衆僧が決起して専修念仏の禁止を天台座主に要請、興福寺も朝廷に訴状を提出しました。
そんな攻撃も、最大の庇護者・九条兼実の尽力で何とか取り下げられていたのです。

そんな中――。
建永元年(1206)、鹿ヶ谷の念仏道場で事件が起こりました。熊野詣に御幸した後鳥羽上皇の留守中に、ふたりの女官が法然上人門弟の安楽住蓮による「六時礼讃」(念仏を朗唱する仏事)に参加し、しかも剃髪して尼になってしまったのです。
安楽は少外記中原師秀の息、住蓮清和源氏・陸奥寺主実遍の息、ともに美僧、美声で知られていました。二人は念仏に絶妙な曲節をつけ、集まった信者と合唱しましたが、それが二人の容貌、美声と相まって、人々の心をとらえました。ふたりの女官も、念仏世界に、あるいはこの二人の僧の美貌・美声に魅せられたのでしょうか……。
熊野から戻った後鳥羽上皇は、この事件を知り、烈火のごとく怒られました。

翌年(1207)、安楽は六条河原で、住蓮は近江で斬首されます。そして、罪は法然上人にまで及ぶことになったのです。

念仏が迫害されることになった契機と言うべき事件の《伝説》です。

後鳥羽上皇のふたりの女官は、「松虫」「鈴虫」の名で、事件が語り継がれることになります。この名は、室町時代の浄土真宗系の談義本『松虫鈴虫物語』から始まったと言われています。

境内東南の坂の上にある松虫姫・鈴虫姫の供養塔。

このふたりの女官は、瀬戸内海の生口島に移って、念仏三昧の余生を送ったと伝えられます。

山門入ってすぐの所に、住蓮安楽供養塔が建てられています。

そして、その傍らに、二人の僧の辞世の歌碑があります。


極楽に  生まれむことの  うれしさに
       身をば佛にまかすなりけり
                                               住蓮上人
今はただ  云う言の葉もなかりけり
       南無阿弥陀仏のみ名のほかには
                                               安楽上人


東山三十六峰のうちの第14峰、この辺りは、山中の渓谷に鹿が出たことから、「鹿ヶ谷」と呼ばれました。法然が 安楽住蓮の二人の菩提を弔うために建てた草庵は、「鹿ヶ谷」の山中にあったそうですが、室町時代後期に現在地に移されました。

茅葺きの山門は、明治25年(1892)の建立。
山門と境内入ってすぐの紅葉です。。ここのモミジは、今年はピークを過ぎたのでしょうか?


宝形裳階造りの本堂。江戸時代後期に、常行三昧堂であった建物を移築したものだそうです。
本尊は、阿弥陀三尊像です。


本堂の東に隣接する書院から、東山を借景としたお庭を眺めます。ゆっくり座っていられる場所です。



本堂の前、南から西に広がる庭です。
よく手入れされているお庭です。ツツジやサツキが植えられていて、春の公開時にも楽しめます。仏足石やお地蔵さまの像も、アクセントになっています。



まだまだ、ここ鹿ヶ谷住蓮山安楽寺で、お伝えしたいこともあるのですが、写真も10枚に達したことですし、今日はこれまでにさせていただきます。


※ひとつだけ――
7月25日に行われる「鹿ヶ谷カボチャ供養」は夏の風物詩。京の伝統野菜・鹿ヶ谷カボチャの煮炊きが参拝者に振る舞われます。
江戸時代末、中興の住持・真空益随が百日の修行に入った時、「夏の土用に鹿ヶ谷カボチャを食べれば中風にかからない」との阿弥陀如来のお告げを受け、始めたのが起源とされます。


この拝観(訪問)は、11月28日午後です。紅葉の様子は、変化しているかもしれません〈しています〉。
このあと、また別の所を訪れましたので、次はそちらに続きます。