オネエ系のゲイさんと仲良しになりました
『ゲルマントのほう』に、ブロックにふれて「種族の感嘆すべき強力さ」を論じる箇所がある。 数世紀の時間を隔てても「種族の永続性」はなおも働きつづけ、ブロックにそれとわかる特徴を添えているというのだ(H、四八八)。 ミングルグリュンが指摘したように、詠嘆と列挙のレトリックを駆使したこの一節は、それと気づかれぬまま社会のあらゆる場所でユダヤ人が進出するさまを語って、同じように同性愛者の遍在を説く『ソドムとゴモラー』のIページ(m、一九)にはなはだ似通った口調をおびる。 まるで種族の同一性も同性愛者のそれも、時間と空間の広がりを超えて、有無をいわさぬ力で個人に働きかけるかのようだ。 罪責感と免責への希求とのあいだを揺れ動きながら、ついに自己の性向を表面に出すことがなかったのがプルーストである。 卑怯といえば卑怯な姿勢であろう。 彼の同性愛意識をあきたらないとする意見があとを絶たないゆえんである。 たとえばシードは、プルーストの自己防御や偽装をきびしく批判し、彼のことを「隠蔽の偉大な巨匠」とまでいう。
『ゲルマントのほう』に、ブロックにふれて「種族の感嘆すべき強力さ」を論じる箇所がある。 数世紀の時間を隔てても「種族の永続性」はなおも働きつづけ、ブロックにそれとわかる特徴を添えているというのだ(H、四八八)。 ミングルグリュンが指摘したように、詠嘆と列挙のレトリックを駆使したこの一節は、それと気づかれぬまま社会のあらゆる場所でユダヤ人が進出するさまを語って、同じように同性愛者の遍在を説く『ソドムとゴモラー』のIページ(m、一九)にはなはだ似通った口調をおびる。 まるで種族の同一性も同性愛者のそれも、時間と空間の広がりを超えて、有無をいわさぬ力で個人に働きかけるかのようだ。 罪責感と免責への希求とのあいだを揺れ動きながら、ついに自己の性向を表面に出すことがなかったのがプルーストである。 卑怯といえば卑怯な姿勢であろう。 彼の同性愛意識をあきたらないとする意見があとを絶たないゆえんである。 たとえばシードは、プルーストの自己防御や偽装をきびしく批判し、彼のことを「隠蔽の偉大な巨匠」とまでいう。