ガチムチパンツレスリングの兄貴
ヴィルヘルムニ世はそれまでの平和主義から一躍、好戦的な姿勢に転じるから、第一次世界大戦の遠因をオイレンブルク事件に見出す歴史家もいる。 この事件は、フランスでも逐一報じられた。 何しろ当事者は、詩人にして作曲家でもある、平和愛好の親フランス的な外交官なのだ。 かつての敵国での大がかりな醜聞を、面白く眺めるという部分も加わり、人々はオイレンブルクの話で持ちきりであった。 事件を扱った本がベストセラーになる。 「オモセクシュアリテ」というドイツ渡来の耳慣れない言葉が、民衆のあいだに広まる。 ドイツ側にすればフランスびいきの優男の悪徳であるものが、フランス人には「ドイツ人の悪徳」とされる。 ベルリンは「ソドムーシュルーシュプレー」(シュプレー河畔のソドム)との異名を取った。 「ドイツ語をしやべりますか」という問いかけがゲイのあいだの、相互確認の合図だったという話もある。 ここには、クラフトーエビングやヒルシュフェルトなど高名な性科学者がドイツで出たこと、ゲイの権利獲得運動もまたこの国で最初に起こったこと、などの連想も加わる。 このあとも、「ドイツ」と「同性愛」は近しい観念でありつづけるだろ樋・プルーストとオイレンブルク事件『ソドムとゴモラ』に、シャルリュスがこの事件に言及するところがある。