ベアなゲイと恋愛中!
二つ(あるいは三つ)のヴァージョンから成り、この女が死んでしまったとするのも、主人公シャンがたまらなくなって彼女に接吻するのもある。 この女性は『失われた時』でのやはり不可解な女、ピュトビュス夫人の小間使の原型とみなすこともでき、まず間違いなく現地でのプルースト自身の体験を踏まえているといわれる。 そういえば、第一ヴァージョンの冒頭にどうやら男娼らしき男たちの姿がちらつく。 この女がどうして修道院暮らしをするにいたったかは何も書かれていない。 これは未完成の断章に近く、もしかして「ジャンーサントゥイユ」のために書かれたのではないのかもしれない。 プルーストはいったいどのような意図をこめてこんな挿話をしたためたのであろうか。 修道院に入っても消えない女の欲望の激しさが問題だとも(「彼女の欲望の最後の痕跡は、その生命の最後の名残とともにしか去っていかないだろう」Js、八五〇)、逆にかつての馴染みを修道院にまで追いかける、男の執着のほどを示したいのだとも考えられる。 僧衣の下に情熱をたぎらす、昔ながらの「尼僧の恋」のテーマがここにあるのかもしれず、男からみて、喪服の女性と同様、修道服をまとう女は格別の魅力を放つのかもしれない。