
先日、今年の漢字が発表されたけど
こういうニュースを聞くと
あ~・・・もうすぐ今年も終わるな~
ってしみじみ思います。
そして、このブログネタ(笑)
毎年、悲しいかな特に思い浮かばないんだけど←

今年は自分の漢字として思い浮かんだのは
『学』
っていう漢字。
今年はこれしか思い浮かばない。
やっぱり新選組検定が、なんだかんだで
今年の私の中では一番大きな出来事だったし
特に上半期は、新選組漬けやった気がします

でも、この年齢になっても
何かしら学んで形にできるもんだなーって。
でも、2年前に『薄桜鬼』がきっかけで

浅葱の羽織に恋をしたわけだけど
(まぁ、この羽織も池田屋事件の頃には
もうすでに使われてなかったそうですが)
当時は、自分でもここまで来るとは思わなかった( ̄_ ̄ i)
そしてこの1年、本を読んだり
中村先生の講習に参加する中で
色々感じたことがあって
それはその度に、ここでも書いてきたんだけど
改めて思ったのが
「新選組」
っていうものが、間違った解釈をされて
世に出回っているのかな?・・・っていうのは
すごく感じました。
もちろん、全部が全部ではないんだけど

土方さん1人にしても
子母澤寛や司馬遼太郎の創作が1人歩きしてるというか。
うまく言えないけどσ(^_^;)
でも、それは新選組だけじゃなくて
他の歴史の部分でも言えると思うんですが

どこまでが「創作」で
「史実」は一体どうだったのか?
っていうのを、自分なりに追及してきたような気がします。
そんな中で、芹沢さんや斎藤さんの
新史料が発見されたり
一番最近では、近藤さんが流山で捕縛されたときの
史料が発見されました。
でも、こういう史料が発見されても
断片的なものであって
「新選組」の100%な本当の姿っていうのは
自分の前に現れないんだろうなって思うんです。
私は総司さんが好きだけど
総司さんにしても、研究された方の本を読んできました。
それを読んで言わば、自分の中で勝手に
(って言い方はおかしいかもしれないけど)
「沖田総司」像を作り上げて
それを「好き」って言ってるのであって
本当の総司さんの姿を、見るなんて不可能。
どんなお姿だったのか
どんな声だったのか
総司さんの新選組に対しての想い
刀を持つ意味・・・
全部想像でしかないです。
逆を言えば、知らないからいいのかもしれませんが

ちょっと、クールかもしれないけど
総司さんにお熱を上げてるけど
そういうことも、頭の片隅においてます。
それでも、森満喜子さんの『沖田総司おもかげ抄』に
書かれてる総司さんを信じてはいるんですが(爆)
学べば学ぶほど、遠くに感じるときもあれば
少し近づいたかな、って思うときもある。
それが、歴史の魅力のひとつなのかもしれません。
書いてるうちに、言いたいことが
わからなくなってしまって
グダグダになってしまいましたが
ここまで目を通していただいてありがとうございましたm(u_u)m