今日は、毎月参加している中村武生先生の
新選組講座でした。





でも、今日は坂本龍馬の命日。

ということで、特別編として
龍馬殺害について3時間ガッツリ
お勉強してきましたきらきら!!


レジュメは3枚だけど両面コピーなので
計6枚あり
今まで目にしたことなかった史料を
たくさん見ることができました。


ただ、私も龍馬殺害については
色んな説を聞いてきた。

それは私自身が直接本で読んだものではなく
人から聞いたものばかり。

なので、今回初めて私自身、龍馬殺害について
実際に史料を目にしたわけで・・・あへへ


いま現在、最有力視されているのは
元見廻り組の今井信郎と渡辺篤の2人です。

これまで、黒幕は薩摩だ、とか
伊東甲子太郎だ、とか
犯人がハッキリしない、と聞いてきたけど

ちゃんと丁寧に史料を読めば


薩摩が黒幕説はありえないこと

最有力視されてる2人が龍馬殺害の犯人であること


その2つは、今のところはっきりしているんだな
ていう印象を受けました。


そして、以前からも中村先生がお話されてましたが

黒幕はきっと会津藩。


大政奉還が受理されて、幕府がなくなり
一番怒り狂ったのは会津だった。

それを察知した岩倉具視が

「会津が狂気の如く怒っているから
速やかに帰国するように」

という感じの書簡を大久保利通に宛てているんだそう。
(なので、薩摩の黒幕説はありえなくなる)

薩摩側で狙われていたのは
西郷隆盛・大久保利通・小松帯刀。

土佐側は、後藤象二郎・坂本龍馬が
標的だった。


それを受けて、みんな速やかに京を離れ
もちろん、龍馬さんも行動に移すんだけど

河原町の土佐屋敷が、龍馬さんの希望を無視し
匿うことをしなかったため
近江屋にいることになってしまった。


なので、矛先が龍馬さんに向けられた・・・


ということなんだそうです。

※「危険だから」と忠告されてるにも関わらず
龍馬さんがそれを無視したため
龍馬さんが不用心だったから、言われてきたんですが
昭和59年に、「土佐屋敷に拒否られた」って
書かれた書簡が見つかったんだそう。


まぁ、言ってしまえば
西郷さんたちの代わりに殺された・・・って感じでしょうかマジ・・・?



そして、龍馬殺害後に書かれた
土佐側の手記と

今井信郎自身が供述したことが
見事なまでに一致しているんです。
(読んでてちょっと怖くなった(><;))

ただ、今井自身が龍馬さんを斬ったのではなく
彼は玄関先で見張りをしていたんだそう。

その辺も忘れてはいけないんだけど
今井が現場にいたのは、間違いないんでしょうね・・・。

で、今井の供述に渡辺篤の名前は
出てきてないのも気になる、と。


でも、この2人が晩年まで
その内容を変えずに語ってきた、という点は
軽視できないと。



ただ・・・大政奉還が受理されて
幕府がなくなったことで

今までやってきたことが
全て無になった会津藩の怒りも
わからなくもないです・・・。


あと、驚いたのは読む史料のほとんどに

「新選組がやった」

と書かれていることでした。


いや、もちろん違うんですが
あの永井尚志でさえ
新選組を疑っていたのには驚きました。

しかも、近藤さんを呼んで事情を聞いているそうがーん

んで、最終的に新選組がやったと
認めているそうなムンクの叫びムンクの叫び


そのせいで、近藤さんが斬首に追い込まれたとか
そうでないとか・・・(@Д@;


おいおいおい・・・

永井尚志の見る目変わるわーーーーちーん

一緒に近藤さんと広島出張行ってるくせにーーー。




とまぁ、ざっとこんな感じで、お話を聞いてきました。



長くなってしまったけど


慶応3年の今頃は

きっと大騒ぎだったんだろうな・・・。



今日はこの講習会があったので
お墓参りに行けなかったんですが
またちゃんと行かないとな。



今の日本があるのは

龍馬さん、あなたのおかげですよ・・・。



合掌。