今日は、毎月実施されている中村先生の新選組講座でした。







内容は文久4年(元治元年)2月。

「参預会議」のさなかの新選組の動向でしたきらきら!!

この辺はざっくり話すと

近藤さんが容保公に温泉を勧められて
温泉治癒に行くんだけど
そんな最中、容保公が長州征伐の副将に命じられて
京都守護職の解任の知らせが届きます。

その知らせを聞いて、慌てて京へ帰ってくる

ってな内容でした。



「参預会議」とは

・徳川慶喜(一橋徳川家当主、将軍後見職)
・松平春嶽(越前藩前藩主、前政事総裁職)
・山内容堂(土佐藩前藩主)
・伊達宗城(宇和島藩前藩主)
・松平容保(会津藩主、京都守護職)
・島津久光(薩摩藩主島津茂久の父)

の6名から構成された合議制会議(制度?)。

当時の議題は、長州の処分と攘夷問題だったんだけど
横浜鎖港の問題を巡って
徳川慶喜と島津久光が対立し、特に成果もないまま解体汗

まぁ、この部分は『花燃ゆ』でも、すこーしだけ登場したかな。
徳川慶喜と島津久光(両方どぶろっくが演じてましたが涙)が
言い合いしてる場面が出て、あっさり終わった(笑)



容保公が長州征伐の副将に任命されたことで
京都守護職は松平春嶽に変わったんだけど(極めて短期間)
新選組は、容保公の配下のまんまってことがわかって
近藤さんは安心した、と。


そんなお話でした。


あと、新選組の史料の中には
「新選組」を誤って「新徴組」と書かれたものが多いんですが
その逆は全く見ない。

「新徴組」は、浪士組が上洛した際
近藤さんたちは京に残ったけど
江戸に帰った人たちが後に、庄内藩御預りとなったもの。
(その経緯は色々あるんですが)

なので、これはもしかしたら、新選組は新徴組の一部、もしくは
浪士組の京都部隊と認識されていたのではないか?とな。

これに関しては
確実な史料はないので、中村先生の推論なんですが・・・。



今回は最初の雑談(笑)がちょっと長かった上に
(いや、それも面白かったんですが)
年号の話で横道が逸れたりしたので
レジュメの途中までしかできずうっ。


続きは来月に持越しな感じになりましたひゅー



なんか、今月は毎週末が新選組関連・・・NO

それも来月には落ち着きます(笑)