おはようございます
昨日の続きです。
文久3年8月24日の早朝に起きた
『三条縄手の戦い』。
これは、筑前藩士・平野国臣を捕縛するため
新選組が豊後屋に踏み込んだ事件です。
その事件を知ったときから
「豊後屋ってどこにあったんだろう?」と
思ったんですが
調べていて、まさかここだとは
思いませんでした

京阪三条駅の東にある
土下座の付近(爆)
この付近が豊後屋があったとされる
場所なんだそう。
石碑も何もないので
「この付近」と言われたら
この辺を撮るしかない

縄手通りから三条通りへ
向かっていくと
突き当りにこの像があるんですが
(この写真の突き当りが
土下座像になります)
ここだってわかったときは
え、ここーーー
って感じだった(笑)
この土下座って
京都人の待ち合わせのスポット。
もう「土下座前ね」で通じるくらい
定番です
・・・話を戻して(笑)
この時、新選組は平野国臣の捕縛に
失敗しているんですが
同志である古東領左衛門を捕縛しています。
古東領左衛門は、反幕派と通じ
天誅組のバックアップも
果敢に行っていた人物です。
この豊後屋に踏み込んだ際
長州藩士の堀真五郎らが
2階に宿泊していたんですが
この時は取り調べで終わったそう。
このとき部屋に現れたのが
「面長、色白にして背、高く、火事装束を」
着用した人物
と言われていることから
この隊士が土方さんではないか
という見方もあるそうです。
その後、古東領左衛門は
六角獄舎へ収容されました。
やがて平野国臣も但馬国で挙兵後に捕縛。
同様に六角獄舎へ。
そして、禁門の変の際
斬首されています。
その遺骨はJR円町駅の近くにある
竹林寺に埋葬されています。
その時の記事がこちら。
この時は、俊太郎さまが目当てで
ここを訪れたのですが
今、この記事を見返してみると
ちゃんとお2人の名前もありました。
この三条縄手の戦いは
新選組が結成されてから
初めての大仕事でした。
それまで、自主的に行ってきた
市中見回りが
正式に認可されたこともあり
ほぼ新選組総動員で
この捕縛にあたったそうです。
そして、その後
土方さんはこの時に使用した鉢金を
日野の佐藤彦五郎さんのところに
送っています。
この鉢金は8月18日政変のときでも
使用されたもので
土方歳三資料館に展示されているとか
・・・とまぁ
このような事件が
「この付近」で起こった
というわけです
当時を連想させるものは
本当に何も残ってないんですが
「ここでかぁ・・・」
と、やっぱり感慨深くなります。
本当は、明日もまた
四条の方へ行くんで
その時に・・・とも思ったんですが
さすがに今回の場所は
人ごみの中で写真を撮るには
ちょっと勇気がいると思い←
敢えて、朝の早い時間に行って
帰ってきました
ホント、スタバとか
モーニングやってる
喫茶店くらいしか開いてなくて(笑)
でも、全然人もいないし
ゆっくり妄想に浸れたよ
こういう場所に来ると
それぞれの事件が起こった場所の
距離感が掴めるのが
本当に面白いです。
もう昔から友達と食事したり
ショッピングしていた場所が
新選組が警護していた区域だと
思ったら
最初はめっちゃ興奮したよ、やっぱり(笑)
京都にある新選組関連の史跡は
ほとんど足を運んだけど
まだまだ行けてないとこもあるので
また時間を見つけて行きたいと思います
最後までお付き合い
ありがとうございました
京都の史跡巡りをされる際に
少しでも参考になれば幸いです

昨日の続きです。
文久3年8月24日の早朝に起きた
『三条縄手の戦い』。
これは、筑前藩士・平野国臣を捕縛するため
新選組が豊後屋に踏み込んだ事件です。
その事件を知ったときから
「豊後屋ってどこにあったんだろう?」と
思ったんですが
調べていて、まさかここだとは
思いませんでした


京阪三条駅の東にある
土下座の付近(爆)
この付近が豊後屋があったとされる
場所なんだそう。
石碑も何もないので
「この付近」と言われたら
この辺を撮るしかない


縄手通りから三条通りへ
向かっていくと
突き当りにこの像があるんですが

(この写真の突き当りが
土下座像になります)
ここだってわかったときは
え、ここーーー

って感じだった(笑)
この土下座って
京都人の待ち合わせのスポット。
もう「土下座前ね」で通じるくらい
定番です

・・・話を戻して(笑)
この時、新選組は平野国臣の捕縛に
失敗しているんですが
同志である古東領左衛門を捕縛しています。
古東領左衛門は、反幕派と通じ
天誅組のバックアップも
果敢に行っていた人物です。
この豊後屋に踏み込んだ際
長州藩士の堀真五郎らが
2階に宿泊していたんですが
この時は取り調べで終わったそう。
このとき部屋に現れたのが
「面長、色白にして背、高く、火事装束を」
着用した人物
と言われていることから
この隊士が土方さんではないか
という見方もあるそうです。
その後、古東領左衛門は
六角獄舎へ収容されました。
やがて平野国臣も但馬国で挙兵後に捕縛。
同様に六角獄舎へ。
そして、禁門の変の際
斬首されています。
その遺骨はJR円町駅の近くにある
竹林寺に埋葬されています。
その時の記事がこちら。
この時は、俊太郎さまが目当てで
ここを訪れたのですが
今、この記事を見返してみると
ちゃんとお2人の名前もありました。
この三条縄手の戦いは
新選組が結成されてから
初めての大仕事でした。
それまで、自主的に行ってきた
市中見回りが
正式に認可されたこともあり
ほぼ新選組総動員で
この捕縛にあたったそうです。
そして、その後
土方さんはこの時に使用した鉢金を
日野の佐藤彦五郎さんのところに
送っています。
この鉢金は8月18日政変のときでも
使用されたもので
土方歳三資料館に展示されているとか

・・・とまぁ
このような事件が
「この付近」で起こった
というわけです

当時を連想させるものは
本当に何も残ってないんですが
「ここでかぁ・・・」
と、やっぱり感慨深くなります。
本当は、明日もまた
四条の方へ行くんで
その時に・・・とも思ったんですが
さすがに今回の場所は
人ごみの中で写真を撮るには
ちょっと勇気がいると思い←
敢えて、朝の早い時間に行って
帰ってきました

ホント、スタバとか
モーニングやってる
喫茶店くらいしか開いてなくて(笑)
でも、全然人もいないし
ゆっくり妄想に浸れたよ

こういう場所に来ると
それぞれの事件が起こった場所の
距離感が掴めるのが
本当に面白いです。
もう昔から友達と食事したり
ショッピングしていた場所が
新選組が警護していた区域だと
思ったら
最初はめっちゃ興奮したよ、やっぱり(笑)
京都にある新選組関連の史跡は
ほとんど足を運んだけど
まだまだ行けてないとこもあるので
また時間を見つけて行きたいと思います

最後までお付き合い
ありがとうございました

京都の史跡巡りをされる際に
少しでも参考になれば幸いです
