今日の朝、昨日のアクセス数にビックリ。

ジャンルにとらわれず、自分のいいと思ったものを

書いてるので、どの単語が検索に引っかかったのか

わかりませんが、来ていただいてどうもありがとう( ´艸`)



さて、今日は今週の金曜日から息子が短縮授業に入るので

今のうちに行っておきた場所へ行ってきました。

台風も来てるしね。



今日、足を運んだのはこちら。





竹林寺です。

JR円町駅から徒歩5分くらいのところにあります。


ここはどういう場所なのかというと

古高俊太郎さまの遺骨が埋葬されている場所なんです。





字が見えるように、少し大きめに加工しました。





これを読んでもらったらわかるかと思いますが

新選組の名前を京の町に轟かせた

あの池田屋事件から約一ヶ月後の

元治元年(1864年)7月19日に

禁門の変(蛤御門の変)が起こるんですが

その際、火災の混乱に乗じて逃亡を防ぐため

六角獄舎に収容されていた俊太郎さまたちは

罪状未決のまま、斬首されました。


その亡骸は、一つの穴に押し込まれ

白骨化されるまで放置されたといいます。


それが、明治10年(1877年)に発見され

調査の結果、禁門の変の際に

斬首された方々だということがわかり

このお寺に改葬されたんだそうです・・・。



門の横にある小さいな扉から中に入ることができ

入ってすぐのところに

「六角獄舎殉難志士之墓」と書かれた墓石があり

そこに斬首された方の名前が、彫られていました。


もちろん、手を合わさせていただきました。


私、今まで山南さんや藤堂さんの

お墓にも手を合わせていますが

こういう場所へ来て

初めて涙ぐんでしまいました・・・しょぼん



禁門の変が1864年

そして発見されたのが1877年です。


10年以上もの間

誰に発見されることもなく

冷たい土の中に押し込めらるような形で

いたのかと思うと

あまりにひどい扱いだと・・・。




そして、お寺の塀には

斬首された37名の名前が掲げられています。






俊太郎さまの名前。








・・・たまに本気で知りたいと思うんです。


どうして、池田屋事件が起こったのか。


俊太郎さまが、土方さんの拷問に耐え切れず

あの計画を自白したから・・・と言われていますが

本当のところは定かではありません。

新選組が手柄欲しさに、独断でやったとも言われています。


歴史は見方によって、大きく変わりますし

どっちが間違っていたとか、そんなことを言いたいわけではなく

本当のことを知りたいなぁ・・・と思うんです。




それこそ、どこぞのゲームのように

タイムスリップしないと

わからない事実ですが・・・( ̄ー ̄;



ていうか

あの時代を生き抜ける自信などない・・・(爆)



でも。たまに妄想してしまう・・・・・。




・・・・(●///艸///)←





・・・話がそれましたが。



この場所を知ったのは

霊山歴史館に行ったあとだったんですが

やっと来ることができました・・・。




歴史を勉強しなければ

こういう場所に来ることもなかったわけですが

今はこの縁を大事にしたいと思います。