さてさて・・・もう一気にいっちゃいます。
俊太郎さまの住居跡に行ったあとは
そのまま木屋町通りを散策。
いつもは河原町通りを歩いて
色々買い物したりするんですが
今回は木屋町通りから御池通りまで行きました。
木屋町通りにあった幕末関連スポットを記録しておきます。
これは特に「これが見たい!」と思ったわけではなく
木屋町を歩いていて目についた石碑を撮ってきました(笑)
【本間精一郎遭難之地】

<本間精一郎>
越後出身の尊攘志士。
文武両道で弁舌も巧みで友人も多かったそう。
安政の大獄の後、上洛し尊王攘夷の活動に身を投じていきます。
特定の藩に属さなかったため、自由に行動ができ
急進派に属するも、その動きは
伏見「寺田屋事件」で挫けてしまいます。
その頃から酒に溺れ、仲間にも罵声を浴びせるようになり
次第に同志から嫌われていきます。
そして…お酒を飲んで酔っ払って帰るところを襲撃され、暗殺。
その実行犯の中には、土佐藩の岡田以蔵もいたとか。
でも、明治維新後、新政府から従五位の官位が贈られています。
今回は見れなかったけど
この近くにその時の刀傷が残ってるそうです。
そして、この向かい側には
坂本龍馬さんたちが拠点としていた
土佐藩邸跡が・・・。

この時代、もう気にくわない奴がいれば
斬っちゃえ!的なとこが怖い・・・ヽ((◎д◎ ))ゝ
【佐久間象山先生遭難之碑】
三条通りと木屋町通りの交差点のところにあるこの石碑。
前はもっと大きかった気がするんですが…
私の記憶違いかな。

<佐久間象山>
信濃(現在の長野県)松代藩士。
洋学・砲術を学び、開国論を唱え
勝海舟・坂本龍馬・吉田松陰らが
佐久間象山に育てられました。
元治元年(1864年)、幕府の命により上洛。
開国論を主張しますが
当時の京は尊攘派志士の潜伏の拠点だったこともあり
この行為はかなり危険でした。
しかも、そんな中1人で行動することが多く
同年、7月11日に白昼堂々、河上彦斉らにより暗殺されてしまいます。
ちなみに、この河上彦斉。

幕末の4大人斬りの1人だと言われていますが
実は彼、あの「るろうに剣心」の主人公・緋村剣心のモデルになった人物だそう。

ちなみに彼は維新後、新政府に従わなかったとして斬首されています。
【吉村寅太郎寓居跡】
ここは池田屋事件のときの記事でUPした
四国屋跡のお隣にあります。

<吉村寅太郎>
土佐藩士で武市半平太が結成した土佐勤王党に加入。
伏見挙兵計画に参加するため脱藩し
尊王攘夷派の過激派志士らと合流します。
そして、伏見寺田屋で会合を開いてる最中
「寺田屋事件」が勃発。
薩摩藩に捕えられ、脱藩していた寅太郎は
土佐で投獄されてしまいますが
やがて釈放され、再び京へ。
その時に拠点としていたのがここ。
その後、「天誅組」を結成するも
八月十八日の政変で幕府の攻撃を受けて戦死。
「吉村寅太郎」の名前は聞いたことあるな~・・・と思ったけど
やっぱり土佐藩の方でした。
坂本龍馬がこの人に誘われて脱藩してるから
聞いたことあるわけだww
・・・・・はい。
これで連休中に行った史跡巡りは終わりですm(u_u)m
この部分は、ちゃんと自分の言葉で書きたかったので
ネットやら本やらを見て解釈するのに必死でした。
久しぶりに頭をフル回転させた気が

だた・・・こうして歩いてると
京都って本当に幕末の中心地だったんだな、と
改めて思いました。
今回は通ってないけど河原町通りには
坂本龍馬さんが暗殺された「近江屋」の跡地もあるしね(´□`。)
とにかく、歩けば何かしら石碑があります。
幕末の歴史は本当に面白い。
だけど、あまりに儚い・・・。
だから、生き様に魅かれるのかもしれませんが・・・。
俊太郎さまの住居跡に行ったあとは
そのまま木屋町通りを散策。
いつもは河原町通りを歩いて
色々買い物したりするんですが
今回は木屋町通りから御池通りまで行きました。
木屋町通りにあった幕末関連スポットを記録しておきます。
これは特に「これが見たい!」と思ったわけではなく
木屋町を歩いていて目についた石碑を撮ってきました(笑)
【本間精一郎遭難之地】

<本間精一郎>
越後出身の尊攘志士。
文武両道で弁舌も巧みで友人も多かったそう。
安政の大獄の後、上洛し尊王攘夷の活動に身を投じていきます。
特定の藩に属さなかったため、自由に行動ができ
急進派に属するも、その動きは
伏見「寺田屋事件」で挫けてしまいます。
その頃から酒に溺れ、仲間にも罵声を浴びせるようになり
次第に同志から嫌われていきます。
そして…お酒を飲んで酔っ払って帰るところを襲撃され、暗殺。
その実行犯の中には、土佐藩の岡田以蔵もいたとか。
でも、明治維新後、新政府から従五位の官位が贈られています。
今回は見れなかったけど
この近くにその時の刀傷が残ってるそうです。
そして、この向かい側には
坂本龍馬さんたちが拠点としていた
土佐藩邸跡が・・・。

この時代、もう気にくわない奴がいれば
斬っちゃえ!的なとこが怖い・・・ヽ((◎д◎ ))ゝ
【佐久間象山先生遭難之碑】
三条通りと木屋町通りの交差点のところにあるこの石碑。
前はもっと大きかった気がするんですが…

私の記憶違いかな。

<佐久間象山>
信濃(現在の長野県)松代藩士。
洋学・砲術を学び、開国論を唱え
勝海舟・坂本龍馬・吉田松陰らが
佐久間象山に育てられました。
元治元年(1864年)、幕府の命により上洛。
開国論を主張しますが
当時の京は尊攘派志士の潜伏の拠点だったこともあり
この行為はかなり危険でした。
しかも、そんな中1人で行動することが多く
同年、7月11日に白昼堂々、河上彦斉らにより暗殺されてしまいます。
ちなみに、この河上彦斉。

幕末の4大人斬りの1人だと言われていますが
実は彼、あの「るろうに剣心」の主人公・緋村剣心のモデルになった人物だそう。

ちなみに彼は維新後、新政府に従わなかったとして斬首されています。
【吉村寅太郎寓居跡】
ここは池田屋事件のときの記事でUPした
四国屋跡のお隣にあります。

<吉村寅太郎>
土佐藩士で武市半平太が結成した土佐勤王党に加入。
伏見挙兵計画に参加するため脱藩し
尊王攘夷派の過激派志士らと合流します。
そして、伏見寺田屋で会合を開いてる最中
「寺田屋事件」が勃発。
薩摩藩に捕えられ、脱藩していた寅太郎は
土佐で投獄されてしまいますが
やがて釈放され、再び京へ。
その時に拠点としていたのがここ。
その後、「天誅組」を結成するも
八月十八日の政変で幕府の攻撃を受けて戦死。
「吉村寅太郎」の名前は聞いたことあるな~・・・と思ったけど
やっぱり土佐藩の方でした。
坂本龍馬がこの人に誘われて脱藩してるから
聞いたことあるわけだww
・・・・・はい。
これで連休中に行った史跡巡りは終わりですm(u_u)m
この部分は、ちゃんと自分の言葉で書きたかったので
ネットやら本やらを見て解釈するのに必死でした。
久しぶりに頭をフル回転させた気が


だた・・・こうして歩いてると
京都って本当に幕末の中心地だったんだな、と
改めて思いました。
今回は通ってないけど河原町通りには
坂本龍馬さんが暗殺された「近江屋」の跡地もあるしね(´□`。)
とにかく、歩けば何かしら石碑があります。
幕末の歴史は本当に面白い。
だけど、あまりに儚い・・・。
だから、生き様に魅かれるのかもしれませんが・・・。