いつの間にか育つ「生きづらさ」は

どこで生まれるんだろう?

 

 

人は幼い頃に周りにいた大人の価値観、

世間の普通や道徳観に知らず知らず影響される。

 

「自分である」のは子どもっぽいこと、わがままなこと

自分勝手なこと、許されないこと…そんなメッセージ。

 

たとえ言葉にして言われなかったとしても

雰囲気、空気感で感じ取っているもの。

 

そうして、期待されているであろう自分の形に

本来の自分が押し込められて窮屈で窮屈で

「生きづらさ」が生まれていく。

 

 

なので何不自由なく育ててもらったのに

「生きづらさ」を感じている自分が申し訳ない

そう自分を責めている人も結構います。

 

私が「生きづらさ」を感じ始めたときは、

何が起こっているかもわからず、ただ苦しさを抱えて

休みの日までのカウントダウンをする日々でした。

 

 

 

一方、「生きづらさ」をあまり強く感じない人は

そのままの「自分である」ことを肯定するメッセージを

たくさん受け取ってきた人である場合が多いかんじ。

 

ただ、「自分である」ことをずっと続けていくのは

生まれた環境で与えられるものだけでは難しく、

案外、自力も必要なことだと思います。

 

大人になるにつれ、世界は広がり

新しく出会う人、出会う環境は増えるわけで、

好きな人とだけ、好きな環境でだけ生きていくことは

なかなか選べなくなることが多い。

そうすると否定的なメッセージを受け取る可能性も

もちろん増えていくでしょうから。

 

 

ただ、自力が働きだす(精神的自立、親離れの始まり)には、

「自分である」ことを肯定するメッセージを

ある程度は受け取ってきていることが必要だと思います。

 

では、そのメッセージをあまり受け取ってきてないとしたら?

 

 

 

 

 

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