近代化していく社会の中で生み出された
明治の日本画や工芸といった美術品を紹介する
「明治150年展 明治の日本画と工芸」が
京都国立近代美術館で開催されています。
今年は明治元年から150年目なんですって。
※ 取材で伺い、会場内は特別の許可を得て撮影しています。
第1章 京都府画学校と同時代の日本画
1968年に明治維新を迎え、都が東京に遷り
京都は政治的、社会的に苦しい状況に追い込まれます。
それは、日本画家や工芸の世界にとっても同様でした。
京都の地場産業の工芸品の図案・下絵を描くことで生計を立てる日本画家も出てきます。
日本画家による芸術性の高い図案・下絵は、工芸品の芸術的価値を高めることにつながっていきした。
日本画と工芸の関係が変わってきた時代でもあったのです。
そんな中で誕生したのが京都府画学校です。
画家を育てることは、工芸の図案を手掛ける人材を養成することになり、
ひいては、工芸の図案の発展にもつながるという思いもありました。
この章では、京都府画学校の創設に関わった人や教員、
学校出身者の中で工芸図案に関わった人たち、
又は、同じ時代に活躍した画家の作品が並んでいます。
日本画の美しさを感じられる空間。
見ていると時間を忘れてしまいそうです。
私は日本画で描かれる「鳥」が好きなので
細かい筆遣いや、艶やかな毛並みなど堪能しました!
第2章 明治の工芸
① 博覧会の時代
明治時代以前から欧米では日本の美術品、特に工芸品に興味を持っていました。
19世紀後半から開催されていた万国博覧会には、
たびたび海外コレクター所蔵の日本の工芸品が出品されていました。
1967年の第2回パリ万博には
佐賀や薩摩など「藩」単位で参加し、その芸術品の数々が好評を得ます。
新しい時代に入った日本、鎖国も解かれ海外情報が入ってくると
政治、文化などいろいろな面で、欧米との差を感じるようになります。
そんな中で政府が注目したのが「日本の工芸品」
「日本」という国家として、初めてウィーン万博に参加することになります。
↑万博の雰囲気を再現した部屋も
↑《温知図録》
陶磁器や銅器、七宝、漆器などの工芸品のためのデザイン帳。
会場には、万博に出品されたであろうもの、類似したもの、輸出工芸品が並びます。
日本は万国博覧会に参加することで、西洋に日本の工芸品の情報を発信すると同時に
西洋の最新技術も学んでいったのです。
左 川出柴太郎
《芥子図花瓶 一対》 明治時代
有線七宝
京都国立近代美術館
右 大出東皐(画)
《染付遊兎図衝立》 明治前期
陶器・染付・木
横山美術館
圧巻です
② ワグネルと旭焼
日本の窯業技術の改良に大きく貢献したワグネル。
日本政府として初めて公式参加したウィーン万博博覧会では、
出品作品の選定などにあたりました。
陶磁器分野では、「釉下彩」を使って、従来は不可能だった繊細な色彩表現を可能にし
後に、「旭焼」の焼成に成功しました
↑ 左 春名茂春
《旭焼 鹿島踊図皿下図》
明治20〜29年頃
国立研究開発法人産業技術総合研究所 中部センター
右 ゴッドフリート・ワグネル
《旭焼 釉下彩鹿島踊図皿》
明治20〜29年
京都国立博物館
↑荒木探令他
《旭焼 下図》
明治16〜29年頃
愛知県陶磁美術館
③ 明治の名工
超絶技巧として注目される作品は、
江戸時代の技法や職人の技をベースにして制作されたもの。
名工の中には、「帝室技芸員」に任命された人もいました。
帝室から芸術家に与えられる最高の名誉職です。
一番右は石川光明の《蓮根に蛙牙彫置物》
石川光明は第1回帝室技芸員に任命された。
人物や動物をモチーフとした作品を手掛け、国内外の博覧会で高い評価を得ました。
私が特にすごいなあ〜と思ったのがこちら↓
本物?と二度見どころか、何度も、角度をかえ、方向を変え、見てしまいました。
これが超絶技巧・・・
安藤緑山
《仏手柑牙彫置物》
大正-昭和
象牙着色
京都国立近代美術館
明治維新を迎え政治では新しい時代になったとはいえ、
文化史は江戸から明治へと緩やかに変化していきます。
江戸時代の職人の技、それまで受け継がれてきた技法を基礎に、
西洋の影響も取り入れながら、新しい芸術が花開いていったのです。
だからこそ、会場に並ぶどの作品も魅力的で、じっと見入らずにはいられません。
「明治150年展 明治の日本画と工芸」
京都国立近代美術館で
5月20日まで開かれています。
公式HP↓