明日から始まります
特別展「マティスとルオー -友情50年の物語-」
内覧会に伺いました。
※会場内の写真は許可を得て撮影しています。
アンリ・マティス(1869-1954)とジョルジュ・ルオー(1971-1958)
この二人のつながりは1892年、国際美術学校のギュスターヴ・モロー教室に始まります。
2人の間では30通以上、家族ぐるみのものも含めると60通以上の書簡が交わされました。(確認できているものだけで)その往復書簡は、存在は明らかだったものの所在が不明でしたが、2006年パリのアトリエで発見されました。2013年には、「マティスとルオー友情の手紙」フランス語版として刊行。
今回の展覧会は日本語版が刊行されたことを記念して企画されました。
往復書簡は、オリジナル2通、レプリカ9通の計11通が展示されています。
フランス20世紀美術の巨匠、色彩画家と宗教画家として個性を確立した二人。
マティスは1869年フランス北部の田舎町で穀物卸売商人の息子として誕生。裕福な家庭に育ちます。パリで法律を学んだあと、法律事務所に勤め、その後病気をきっかけに絵を描くようになります。
ルオーは1971年、パリの下町で、パリ・コミューンの砲撃戦のさなか、避難した地下倉庫で生まれるという、ドラマテックに誕生。ステンドグラス職人に弟子入りしました。
その二人が1892年、国立美術学校で出会うことになります。
壁には手紙の一節が書かれていて
理知的で冷静なマティスは「青」
情熱的で直情型のルオーは「赤」(キャプションはピンク)で象徴的に表現されています。
第1章 国立美術学校からサロン・ドートンヌヘ
国立美術学校で象徴派の画家ギュスターヴ・モローに師事した二人。
模倣や追随ではなく、「個性を尊重する指導」を受け、個性を開花させていきます。
初期の貴重な作品が展示されています。↓
第2章 パリ・ニース・ニューヨーク(1914~1944)
この3つの地名は、2人の活動の舞台となった場所。
パリを愛し、離れたがらなかったルオー
マティスが病気療養のため滞在したニース
ニューヨークはマティスの息子ピエールが画廊を構えた場所なんです。
二つの戦争が起きた激動の時代。物資不足の中絵を描くための油をマティスがルオーに送るというエピソードも。
「肘掛椅子のラフ」アンリ・マティス 1924年55歳 ブロンズ メナード美術館
物の本質を多面的にとらえ、立体的に表現していくということが、絵を描くうえで勉強になる。絵を描くプロセスの一環として彫刻をとらえていたようです。
第3章 出版人テリアードと占領期
全く違う二人がどのようにして仲良くなり、50年も付き合っていたのかを手紙を通して紐解いていきます。ときに励ましあい、助け合い、刺激しあって絵を描いていったことが見て取れる展覧会です。
性格も個性も作風も全く違う二人。
同じようなモチーフでも、これだけ違うのか・・・と驚かされました。
音声ガイドも必聴です!
特別展「マティスとルオー -友情50年の物語-」
あべのハルカス美術館で
4月4日(火)~5月28日(日)まで開催されます。
記念講演会やアートトークなども予定されています。詳細は公式HPで。
https://www.aham.jp/exhibition/future/rouaultmatisse/