阪急花隈駅、東口から東にすぐのところにある「花隈城址」
今は、茶色の石垣台が花隈公園となっています。
石垣は全て模擬。模擬石垣の上に模擬天守台あるんです。
花隈城は「鼻隅城」と書くこともあったそうです。六甲山の丘陵が海に突き出ている様子を「鼻」、その稜線を「隅」で言い表したとのこと。
それが転じて「花隈城」となったそうです。
↓花隈城の歴史に関する説明板です。
「花隈城は永禄10年(1567)織田信長が中国へ勢力を伸ばす手段として、この土地に
摂津の有力な武将荒木村重に命じて築かせた城である。のちに天正6年(1678)村重が
信長にそむいたとき、花隈城は池田信輝らに攻められて、天正8年(1680)8月2日ついに落城した。」
昭和44年製。説明文には「国鉄」と書かれています。時代を感じるなあ・・・JRが発足したのは昭和62年(1987)4月1日でした)。
城があった当時、このあたりは海に面して突き出た台地で、海路陸路ともに要害地であり、城域も模擬石垣とは比べ物にならないほど広域であったとのことです。
「花隈城址」石碑。
隣の説明板には、阪神大震災で石碑が破損したが資料に基づき復旧したと書いてありました。
そして、さらに向かって左隣には「東郷の井」由来の説明文もありました!
街中に現れる巨大な石垣。
目立ちますぞ!